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幻想庭園

いろいろ書き散らしてます。 なお、掲載している内容につきましては、原作者様その他関係者様には一切関係ありません

流れの果て-小早川異聞- 第9話 花戦・鬼ノ哭ク春(2)

吉川家の居城・日山城にやってきたあゆ達一行。
吉川元春を始めとする吉川の人々は、あゆたちを歓迎するが・・・・。
*小早川隆景とその妻・問田大方の創作小説となります。
 問田大方の名前は、創作です。
 時代の流れに沿って進行しますが、作者の調査不足により流れがおかしい場所や
登場人物の名前が、おかしいときがあるときは、ご了承ください。
 また、作者の癖が詰め込まれますので、地雷になる表現がございますときは、すぐさま読了してください。
*最後に、この話は、フィクションです。実在の人物、団体、事件等とは関係はありません。




 日山城奥向きにて、
「大変。大変。奥方様にお客様よ」
「まぁ、珍しい。どちらの御方?」
「小早川の奥方様。殿の弟君の妻。まだ幼い方だし、表向きでないから大仰にしな
くていいって」
「あら残念」
「でもお客様は久しぶりよ、お支度、お支度」
 きゃっきゃと弾む女達の声がした。


 それは、どこかの屋敷にて、
『この吉川に客人だそうだ』
『久しぶりだな』
『誰だ?』
『小早川の奥方だそうだ。新庄局様にご挨拶に来たそうだ』
『表向きでないうえに、当主の弟の妻か。つまらん』
『まて。弟は婿養子だ。妻は小早川の姫ぞ』
『なら、ちょうど良いのでは?』
『ちょうど良い、ちょうど良い』
 はははと腹黒い笑いが飛んだ。


 吉川家は、毛利家に隣接する家で、古くから安芸国と石見国の国境地域一帯を
領地としていた。
 吉田からはえっちらおっちらと延々続く山道をひたすら行くことになる。
「なんか、人があんまり通ってないね」
 途中の休憩場所であゆが景信に話しかける。
「まぁ、吉田から新庄に用事がある人は少ないですからね。多くの人は石見へ向か
う街道を通るんじゃないですか?新庄はその途中にありますから」
「石見って、なにがあるの?」
「銀山ですよ。聞いたことありませんか?」
 石見銀山は、この頃から開発が盛んとなり、豊富な量の銀が取れたことからその
所有を巡って石見国人衆のみならず周辺勢力から常に狙われていた。その銀山が、
遙かな未来で世界遺産に登録されることなど知るよしもない二人は、休憩終わりの
かけ声で再び吉川に向かいはじめる。
(なんだか寂しい道なの)
 籠に垂れているすだれの隙間から街道の様子を眺めていたあゆは、心の奥がしん
みりとする。
 深い山の中を通っていくとは聞いていたが、この人通りの少なさはなんなのだろ
うか。沼田から毛利へ向かう道も険しいが人の通りはもっとあった。
 それに輿を見る人々の目がぎょっとしたり、眉をひそめたりはなんのだろうか。
 ふと井上弥四郎が言っていた言葉が思い起こされた。
『あの寝返りで吉川の評判は地に落ちたからな』
 その評判が落ちると言うことが、このひと気の無い街道と輿を見る目ということ
なのだろうか。
「あゆ姫様。間もなく吉川領内に入ります」
 籠の外から馬上の椋梨が声をかけてくる。
「吉川から出迎えがあるそうです。少し外が騒がしくなりますが落ち着きなさいま
すように」
「うん」
 それからしばらくして輿の外から男の人の大きな声が聞こえていた。

「お前ら、よく来たなぁ。俺の妹はどこだい?」

 言葉遣いは荒いが、なんとなく隆景に声が似ているような気がしてあゆは、すだ
れを少しだけ前に開く。
「これは、吉川元春様。お迎えいただくとは恐縮にございます」
 椋梨が馬から下りて、馬に乗る隆景とよく似た年頃の男の人に挨拶していた。
「弟の嫁が、こんな山奥にわざわざ訪ねてきたんだ。俺が出迎えなきゃかえって
失礼だろ」
(あの人が元春お兄様なんだ)
 隆景よりもずいぶんたくましく野性的に見える。
 顔は、隆元にも隆景にも似ていない。
(隆元お兄様や隆景様はお母様似だって聞いたことがあるの。じゃあ元春お兄様は
お父様似なのね)
 元就の顔はあまり覚えていないのではっきりとは言えないが、きっとそうなのだ
ろう。
(あっ、そうだ。ごあいさつしなきゃ)
 あゆは、輿の持ち手に挨拶したいので降ろして欲しいと頼むが、持ち手に拒否さ
れる。
「このような場所で外に出て、狙われでもしたら大変です。ご辛抱ください」
「でも、せっかく迎えに来てくださってるのに」
「お方様。私がご挨拶してきますのでご辛抱を」
 輿に付き従っていた景信が進み出て、元春に何か話す。
 すると元春は破顔一笑して、馬を下りるとあゆの乗る輿に歩み寄る。
「吉川家当主の吉川元春だ。俺の領地で俺の妹を狙う奴なんていねぇよ。安心して
出てきな」
 輿の持ち手は景信を見やるが、景信が降ろすようにと身振り手振りで指図したの
で、腰を下ろし、御簾をあげる。
「元春お兄様ですの?ちょっと待ってね」
 よいしょっとあゆは、腰の外に出てぺこんとお辞儀をして挨拶する。
「はじめてまして、小早川のあゆです」
「隆景の兄の元春だ。いやぁ、思った以上に可愛らしい御姫さんじゃないか。
こんな妹が出来てうれしいぜ。隆景は果報者だな」
「ほんと?元春お兄様」
「お兄様・・・・・か、照れるぜ」
 どうもあゆの呼び方がこそばゆいらしく、元春は顔に似合わない照れを見せる。
「こんなところじゃなんだ。俺の城へ行こうぜ。きぃも待ってるしな。あっ、きぃ
てのは、俺の妻の名前な。皆からは新庄局って呼ばれてるんだ」
「はい。新庄のお姉様にも早く会いたいです」
 この時代、女性の実名は家族以外には秘密にすることが礼儀とされていた。
 あゆもそれに習い、元春の妻を新庄のお姉様と呼んだ。
 あゆは再び輿に乗り、元春の案内の元、日山城を目指した。
「見えてきたぜ。あれが俺の作った城の日山城だ」
 元春の説明に、あゆは輿の窓の御簾をあげて日山城を見上げる。
 山の頂上にあるのが廓らしいがよくわからない。
「あの山の上には元々小さな城があったんだが、それを元に拡張して言ってるんだ。
そのうちこの山全体が城になる」
「じゃあ、前の城もあるの?」
「小倉山城だな。あっちは街道の奥にあっていろいろ不便だからな、こっちに移し
た」
(なんだが、隆景様と同じようなことしてるの)
 隆景も繁平から沼田の家督を継ぐなり、新たな城を川向かいに造って移してし
まった。
 養子で当主になった者は、城を築く慣習でもあるのだろうかと思っていると輿は、
日山城に入っていった。

「待ってたよ。よく来たねぇ」

 両手を広げて迎えてくれたのは元春の妻・新庄局だ。
 少し個性的な顔立ちをしているが、なんだかからっとして明るく元気な女性である。
尾崎局のような高貴な姫らしさはないが、肝っ玉と呼ばれている家臣のお母さんみた
いな人だ。
「疲れただろう。山道に雪は残ってなかったかい?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
 あゆが丁寧な言葉遣いで礼儀正しくお礼を言うと、新庄局はカラカラと笑い。
「姉妹になったんじゃないか。堅苦しいやりとりはいらないよ。さぁ、おいで。
部屋に案内するよ」
 と力強くあゆの肩を寄せて部屋に連れて行く。
 少し強引だけど、あゆは悪い人じゃなさそうだと思い、
(よかった。勝負はしなくて良さそうなの)
 と心の中で少しほっとした。
 しかし、それからが大変だった。

「改めてご挨拶しますの。小早川のあゆです。元春お兄様、新庄のお姉様。どうぞ
よろしくお願いしますの」
 その夜奥向きの広間にて、にぱっと笑って元気に挨拶するあゆに、吉川夫婦は
もだえる。
「お兄様か・・・・へへっ」
「お姉様なんて、妹にも呼ばれたことないよ。なんだか照れるねぇ」
 元春は、下に弟しかおらず、新庄局は下に弟妹がいるが、どちらも兄弟を様付け
呼びする家庭ではないので、あゆの様付け呼びがこそばゆくてたまらなかった。
「お土産を持ってきましたの。瀬戸内の干物なの。お兄様とお姉様は、お魚は
お好き?」
「もちろん好きだぜ」
「干物なんてうれしいよ。ここはすごい山奥で海の物はなかなか手に入らないから
ねぇ」
「よかったぁ」
 二人に喜んでもらえてあゆはにぱっとする。
 干物は、アジや鯛など平凡なものに、少し変わったものを入れた。
「この魚は、ダツというの。骨が青緑色で、夜間に火を焚いて釣りをしてるとこの
鋭いくちばしで突き刺そうと襲ってくる恐ろしい魚なんだけど、干物にするとおい
しいのよ」
「はぁぁ、そんな魚がいるのか、海は広いな」
 あまり海に詳しくない元春は感心深げにうなる。
「当たり所が悪かったら死んじゃうって海賊達が言ってたの。だから逆に突き刺そ
うとしてきたダツを捕らえて食べちゃうんだって」
「そいつは、鬼吉川の名が試されそうだな。おいしくいただくぜ」
 元春はにやりとする。どうやら気に入ったようだ。
 そこへ、
「殿、お方様。鶴寿丸様をお連れいたしました」
 乳母らしき女性が5歳くらいの男の子を連れてきた。
 やんちゃしたのか、頬に傷がある。
「鶴寿丸か、こっちへこい」
「お客様だよ。ご挨拶しなさい」
 両親に呼ばれ、鶴寿丸はとことこと歩いて両親の間に座る。
「鶴寿にございます」
 鶴寿はきちんとご挨拶が出来る若君だった。
 しかし、見知らぬあゆを警戒しているのか声に元気がなく、顔に表情がなく、
目がきょどきょどしていた。
(人見知りなのかしら)
「あゆです。えっと、元春様の弟であられる小早川隆景様の、えっと、その・・・
妻、となります。子供だけど・・・」
(ちゃんと言えたの。妻って。妻・・・なのね)
 言葉の響きがなんだか不思議で、やっぱり照れくさくて、あゆは頬を赤くして
もじもじとしてしまう。
 これを見た小早川家のお付きである椋梨と景信は、
(特訓の成果がでましたな)
(よかった~~、ちゃんと言えてる)
 と内心ほっとした。
 と言うのも吉田郡山城で三人で挨拶の練習をしていたときの出来事だが、



『小早川のあゆです。元春様の弟であられる隆景様の妻です・・・・』
 と言ったこところであゆは何かを考えるように目をきょろんとさせて宙を眺め、
口を動かした。
『たぶん』
『たぶん!?お方様、たぶんってなんですか!?』 
 ええっ!?とぎょっとする景信だが、さらにあゆが首をかしげて椋梨の方を見て
『ねぇ椋梨。私って本当に隆景様の妻でいいんだよね?』
 と尋ねたことに、
(えええええ?????なんだこの質問!?)
 と仰天し、隆景様、気の毒すぎるだろとここに居ぬ主君に同情した。
『そうですよ。竹原に行ったときからそう教えているじゃありませんか』
 やれやれやれと椋梨は頭を横に振る。
『あれだけ盛大に婚儀を上げたというのに』
『だって・・・・・あんまり覚えてないんだもの』
『姫様は、当日ほとんど寝ておられましたからね』
 椋梨は、はぁ~とため息をつく。
『よいですか、あゆ姫様。隆景様とご夫婦でなかったら、お二人が、手をつないで
歩いたり、抱っこしたり、ましてや一緒に寝たりするのを我らが許すはずがない
じゃないですか』
(そりゃそうだ)
 家臣として、大人として、至極まっとうな意見に景信はうんうんと頷く。
『夫婦でもないのに、幼い姫にそんなことをする男は立派な変質者ですぞ。だから、
隆景様は姫様の御夫君であり、姫様は隆景様の奥方様、妻であるのです』
(その理屈もどうかと思うけどな)
 そもそもまともな成年男子は、10歳も下でさらに年端もいかない幼女と結婚し
ようとは思わない。
 政略結婚が常であるこの時代だが、それでも年齢釣り合いが取れるようにすると
か、性格が合いそうか見るとか、それなりの配慮はした。
 そんな配慮がされていない露骨な政略結婚は、どちらかの家あるいは双方の家が
緊迫した状況にあるなどを背景に行われたようであり、当時としてもあまり好まれ
ていなかったようである。
 事実、萩藩閥悦録の椋梨家所有の文11、年不詳8月10日付隆景から元就宛の
文で、隆景が幼い沼田の姫との婚儀について難色を示しているのではと思わせる
文が収録されている。
『子供でも?』
『子供でも、です。だいたい、隆景様の何にご不満があるのですか。婿養子である
ことを卑屈に思わず、小早川のために働く。姫様の我が儘にも文句を言わず付き合
う。立派な成年男子であるにもかかわらず、姫様が大人になるのを待っておられる
のですぞ。そんな誠実な隆景様を思いやらずにどうするのです。ただ今を持って
強く妻という自覚を持ちなされ』
(隆景様を成年男子と思ってんなら側女の一人ぐらい世話してやれよ)
 隆景様、苦労してるなあ、もっと気を使えやと心の中で毒づく景信だったが、
この時彼はまだ小早川家の宗家の血の重さをよくわかっていなかった。
『・・・・・・・』
 あゆは、何も言い返さずよくよく考え込んでいるようだった。
 しかし、これがあゆに変化をもたらした。
『小早川隆景様の・・・・・その、あの・・・』
 口ごもり
『妻・・・です』
 恥ずかしそうに言うようになったのだ。
 あゆの心に小さな赤い実が実った瞬間だった。



 そんなことがあったことなど、つゆ知らず、 
(かぁ~、甘酸っぺえな)
(やっぱ女の子はかわいいねぇ)
 と吉川夫婦は初々しい妹に大満足し、
「いやぁ、姫とはいいものですなぁ」
 同席した吉川家の重臣吉川経世は、はっはっはっと笑う。
「もちろん、後継ぎの鶴寿丸様がおられることは、この吉川にとって大変喜ばしい
ことですが、やはり姫様も喜ばしいことかと」
「なら、きぃ。今夜励むか」
「ばかっ。あゆ姫の前で何言ってんだい」
 新庄局は、恥ずかしそうにペしりと元春をはたくが、その手は嫌がってはいな
かった。
(元春様ご夫婦は相変わらず仲いいなぁ。まぁ、結婚のきっかけがアレだし)
 当時の騒動のことを記憶している景信は、内心やや呆れた。
 一方のあゆは、
(元春お兄様も新庄のお姉様もお慕いしあってて、とっても素敵なの)
 ただうれしいだけじゃない、なにか憧れに似たような思いが浮かんでくるが、
(でも、何を励むのかしら?)
 と思っていた。
 この姫は、夫婦たるものの最も重要な知識が欠けていたのだが、それを皆が知る
のはもっと後のことになる。
 こんな空気の中で、鶴寿丸はうろんな瞳でじっとあゆのことを見つめていた。
 


 到着初日の会談は、身内だけのこじんまりとしたほっこりとした空気で終わった
のだが、翌日からはそうもいかなくなった。
 始まりは、昨夜会った吉川経世の一言だった。
「実は、私は元春様、隆景様の母君妙玖の兄でしてな。つまりは叔父なのです」
「まぁ。そうでしたの」
「あゆ姫様の御夫君の母方の一族となりますので、ぜひ私の家族も挨拶させていた
だきたい」
 と申して、自分の息子とその妻達をあゆに挨拶させた。
「市川経吉でございます」
「その妻・小石にございます」
 小石に挨拶されたとき、あゆはちょっと驚く。
(まぁ、とっても強そうな人なのよ)
 小石は、大岩と名乗る方がぴったりなのでは、と思えるほど屈強な女性であり、
隣の夫が痩せているせいかひ弱に見える。
 この女性が十数年後、最期の大内義隆の正統後継者を巡る戦いの際、夫不在の中、
わずかな手勢を率いて敵勢から城を守り抜いたとして、後の世まで名が伝わる
市川局である。
「今田経高にございます」
「その妻に」
「ご挨拶ありがとうなの」
 さらに、あゆは元々会いたいと思っていた景信の兄で、元春に仕えている桂元貞
の挨拶も受けた。
「桂元貞にございます。弟がなにかとご迷惑をおかけしていませんでしょうか」
「そんなことないのよ。景信はいろいろ頼りになるのよ。何度も助けてもらったし」
「それは重畳。景信、お前も成長したな。昔はヘマばかりで・・・」
 子供の頃を思い出す元貞に、景信は焦る。
「元貞兄上、ご容赦ください。私にも一応立場ってものが・・・」
「え~、なになに?聞きたいのよ」
「お方さまぁ、勘弁してくださいぃ」
 泣きそうな景信に場は笑い声が上がった。
 しかし、その後次々と吉川にやってきた毛利家被官達の挨拶を受け、最後の者へ
の挨拶が終わる頃には、あゆはすっかりくたびれてしまった。
(お、多かったのよ~~~。こんなに毛利の人達が来てるの?)
 作者が参考にした資料によると、元春が吉川に来たとき毛利から来た被官の数は
桂元貞を含め36人に及んだ。
 もちろん隆景も竹原小早川に来たときから毛利からの被官を連れてきたが、その
数は、元春に比べて遙かに少なかった。
「あゆ姫様、お疲れ様でございました」
「お疲れ様です」
 与えられた部屋に椋梨と景信が来たというのに、あゆはへばって畳の上に寝っ転
がったままだ。
「なんですか、行儀の悪い」
「だって、疲れちゃったんだもの」
 目くじらを立てる椋梨だが、あゆはくたっとしたままだ。
「お兄様とお姉様だけに挨拶するつもりだったのに、なんでこんなに挨拶するの?」
「それは・・・そうですねぇ」
 ふむと椋梨も首をかしげる。
「今回は奥向きの親善という体なので、正式なものではなく、重臣はともかくこれ
ほど多くの家中の者達が挨拶に来ることはないはずですが」
「それなんですが、兄に伺ったところ、みんな久しぶりの客人がうれしいうえに、
小早川の姫とあってはぜひご挨拶したいと押し寄せたようです」
『いやぁ、あの小早川の幼妻が来るって言うんでみんな興味津々でさぁ。ほんとに
子供なのは驚いたけど、あれは将来化けるな。景信しっかり守れよ』
 わははと笑いながらバンバンと背中を叩いてくる兄への対応に苦慮しつつ、
景信はそれとなく今回の訪問や吉川のことを聞いた。
 それによると、奥向きの用とはいえ、毛利家以外からの純粋な親善を目的とした
訪問は本当にうれしかったらしく、前々から皆でいろいろ準備してたらしい。
 さらに、あゆが持ってきた干物もここでは本当になかなか手に入らなかったので、
大喜びしたそうだ。
『最近ちょっといろいろあったからなぁ。おっとお前達は何も心配いらないぜ。
新しい吉川を見て言ってくれよ』
 その兄の言動が少し気になるが、とにかく今回の訪問は大成功で終わりそうだ。
「兄によると明日は、吉川家の分家の方々や前々から仕える者達が挨拶に来られる
そうです」
「えぇっ!?まだ挨拶するの!?」
 景信の言葉に、あゆはがばりと起き上がる。
「他家に行くと言うことは、想定外の事態にも備えることが肝要ですぞ。たとえ
親善が目的としてもこれは外交なのです」
「訪問って、思ってたのと違うのよ・・・・」
「明日は、小早川家の姫として資質が問われます。姫様、お気ばりなされ」
 椋梨の厳しい忠言に、かっくりと肩を落としたあゆは軽々しく他家訪問と言った
ことを後悔した。


 翌日、あゆは景信の兄が言ったとおり、吉川分家と元春が当主になる以前から
吉川に仕える者達の挨拶を受けた。
「みんな、ぜひ小早川の姫に挨拶したいってさ」
「昨日ほど手間は取らせないから顔を見せてやっておくれ」
 吉川夫婦に頼まれて、あゆは「もちろんですの」と了承する。
 子供の回復は早い。
 昨晩、椋梨に言われたとおりに早く休み、疲れは取ったあゆは、小早川の姫らし
く頑張って挨拶を受けた。
「森脇でございます」
「山県でございます」
「境と申します」
 彼らは以前より吉川氏に仕え、元春の吉川入りに尽力し、今も重用されていると
いう。
「あゆ姫。こちらは、安芸吉川家の分家に当たる石見吉川家の当主吉川経安殿だ」
「吉川経安にございます。名門と名高い小早川家の姫にご挨拶できますこと光栄に
存じ上げます」
 元春より少し年上に見える武将が挨拶する。
 分家なので吉川の血筋らしいが、吉川の血を引く元春にも、吉川経世にも少しも
似ていない。
 不思議に思いあゆがじっと見つめていることに感づいたのが、経安が自ら答える。
「それがしは、もともとは石見の国人久利家の出にございます。石見吉川の先代
経典様のご息女の婿となり、石見吉川家を継いだ身でございます」
「まぁ、隆景様と同じね」
(私だけじゃ無かったのね)
 自分に以外にも結婚してお婿さんに家を継いでもらう人がいる。
 その事実は、自分だけじゃないという安心感をあゆに与えた。
「とんでもございません!」
 しかし、あゆの言葉に経安は恐縮して強く否定する。
「鎌倉より続く名門の小早川を統一され、瀬戸内の島々さえ領有し、水軍を傘下に
置く隆景様に比べ、それがしは石見銀山を守れなかった身。同じなどおこがましい」
「石見銀山・・・・?」
 行きの途中で景信に教えてもらった気がするが、山陰のことなど全く知らない
あゆはきょとんとする。
「経安、落ち着け。あゆ姫がびっくりしてるだろ」
 元春が諫めるが、経安はなにか取り憑かれたかのように言動が止まらない。
「石見銀山は代々石見吉川家が領有して参りました。それを先々代の時に大内に
取り上げられ、取り戻すために忠勤に励むも興経殿の所業のせいで水泡に帰した。
いまや銀山は、小笠原のもの。今の吉川にはそれを取り戻す力は無い!」
「経安、よせっ」
「あゆ姫様!!」
 元春の制止に関わらず、経安はあゆに懇願する。
「なにとぞ銀山奪還に小早川のお力添えを。奪還の暁には銀山の生み出す富が
小早川の利となることをお約束いたします」
「えっ、あのっ、そのっ」
 突然の申し出にあゆはおろおろとするが、
「吉川経安殿、我が姫に無礼であるぞ!!」
 この場に同席していた椋梨が、すかさず抗議の声を上げる。
「我らが小早川の姫様は、御夫君のご兄弟に挨拶をするために吉川に来られたのだ。
それは親善以外に何物でも無い。その真心を利用し、自己の願いを叶えようとする
とは何事か!」
 さすがは筆頭家老。その声は、場の空気を支配する。
「そもそも姫に対し、表向きの話をするなど言語道断。そのような話は、正式な
手順をふまれて申し入れられよ。無論、姫様に対しこのような振る舞いをしたこと
は、我が主君である隆景様にはお話しさせていただく」
「その通りじゃ。早まったな、経安殿」
 同じく同席していた吉川経世があゆ姫に向かって頭を下げる。
「経安は、隆景様に比べて婿養子としての自分の至らなさに我を失ったようです。
何卒ご容赦ください」
「まったくだ。誰ぞ、経安は病のようだ。連れ出して医者に診せよ」
 元春の命により屈強な男達が現れ、経安をやや乱暴に連れて行く。
「すまなかったな、あゆ姫」
「ほんとごめんよ」
 吉川夫婦に謝られ、あゆはさらにおろおろする。
「わ、わたしは表向きのことは何もわからないのよ。その・・・」
「今後このようなことは、この椋梨に」
「桂景信もおります」
「って言ってるの。表にお願いしてほしいの」
 そう言うのが精一杯だった。

「なんじゃ、なんじゃ。小早川の姫が来とると聞いたが、えらく辛気くさいのぅ」

 ややしゃがれたでかい声とともに、ドスドスと大きな足音とずるずると何かを
引きづる音が聞こえてきた。
「姫がおるのはここかのうぅ」
 と声と共に大男が鴨居の向こうに現れ、大男はそのまま豪快に鴨居に頭をぶつけ
たのだった。
「きゃっ、痛そうなの」
 鴨居が壊れるかと思うかの大きな音にあゆはびっくりする。
「あたた、またやってもうたか」
 と言いながらも大して痛そうにせず、鴨居をくぐり抜けるようにして広間に大男
が入ってきた。
「どちらさま?」
 見知らぬ大男にあゆが目を丸くする中、吉川夫婦は少し慌てる。
「お父ちゃん!!」
「熊谷の親父殿。今日はどうしたんっすか?」
「いやぁ、小早川の姫が来とると聞いたんでな、こりゃ挨拶せんといかんと思って
のうぅ」
 がっはっはっと豪快に笑う老境間近の大男に、椋梨はむむっとうなる。
「熊谷・・・ということは」
「新庄局様の父君の熊谷信直様です。吉田よりさらに遠い三入高松城からわざわざ
やってきたんですよ」
 耳打ちする景信は、ちょっと大変なことになってきたぞと思い始める。
「おぉ、そちらのちいちゃいお姫様が小早川の姫かのう」
「はい。あの、あゆですの」
 見たこともないほどの巨体な男に間近で見下ろされ、あゆは巨大なツキノワグマ
に遭遇したかのように固まる。
「わしは、きぃの父親の熊谷信直じゃ。娘をよろしく頼むぞい」
「ヨロシクなのです」
 子犬のようにぷるぷると小刻みに震えるあゆを熊谷はじろじろと見下ろして、
「ほうほう噂通りまこと子供じゃな。子供はよう食べて、よう寝て、よう身体を
動かなきゃ大きくなれんぞい」
「ハイ」
「ちょうどよい土産を持ってきたのでな。たくさん食べるが良いぞ」
 そして、あゆの目の前にど~~~~~ん!!と置いたのは、引き摺ってきた巨大
なイノシシの死体だった。
「ここに来る途中で鉢合わせてな。命知らずにもわしに向かって突進してきたので
そのまま受け止めて、仕留めてやったわ。ガハハッ」
「素手でっすか?」
「もちろんじゃ。婿殿。このくらいのイノシシに刀など不要よ」
 信直は、朝飯前よとばかりに笑うが、
「お父ちゃん。うちの者どもなら大喜びだけど、あゆ姫はひな人形のような子なん
だよ。土産ならもっと女の子が喜ぶものにしなきゃダメじゃないのさ」
「そうは言うがのう、きぃ、イノシシは旨いぞ。なぁ、姫や」
 と信直はあゆ姫を見やると
「ハイ、アリガトウデスノ」
 ガチガチに固まったあゆは、目を泳がせながら、壊れた人形のように片言で
しゃべっていた。
 なお、このイノシシの土産の話を聞いた吉川家家中の評判は、「ないわ~~
~!!」だった。
 そして、件のイノシシは城の者達の手でおいしく料理された。


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