あややは、周防・長門の守護大名大内義隆に仕える重臣内藤興盛の娘として生ま
れた。
内藤家は、大内家の重臣の中でも筆頭格の家柄であり、父・興盛は長門守護代を
任されていた。
ゆえに、あややは生まれたときから内藤家の姫であったが、
「私が育ったのは、周防にある荒滝山城と言うところなの」
「あれ?山口じゃないの?」
意外そうな顔をするあゆに、あややは少し事情があるような顔をする。
「もちろん、山口の都内にも屋敷はあったし、山口の外にある問田村近くにも城を
持っていたわ。でも、そこに居ることを許されたのは、父と父の先妻との間に生ま
れた兄妹達なの」
この時代、同じ父から生まれても母親の身分で子供達の立場が決まっていた。
あややと内藤隆春ら姉弟の母は、守護大名山名氏に仕える備後の国人・山内直通
の娘で、備後山内氏はかつては守護代を出した家系だが、現在は内藤家とは身分差
があった。
「私の母は、父の継室だけど身分が低くて、実態は側室のようなものでね。その母
の子である私達姉弟は、山口ではない内藤氏の居城で育ったの。つまりは田舎育ち
なのよ」
その荒滝山城も山の中にあった城なので、吉田に来ても違和感は少なかったと
あややは言った。
「でも、大内家の重臣である内藤家の子女が、田舎育ちのままでは良くないってね。
12の時にすぐ下の弟である隆春と一緒に、山口の屋敷に移ったの」
母は、身分を気兼ねしたこととまだまだ小さい弟妹がいたので一緒に行くことは
出来なかった。
「姉として弟を守らなきゃとそれは意気込んでいたけど・・・」
「けど?」
「あの子はねぇ、甘え上手っていうか、人に取り入るのが上手いって言うか。育ち
とか身分とか全然気にしないで、いろんな人とすぐに仲良くなっちゃうのよねぇ」
いいことのはずだが、あややは微妙なため息をつく。
「そのくせ、困ったことがあるとすぐ「あねうえ~」って私に泣きつくのよ。
おかげで小さい頃からどれだけ、あの子の尻拭いをさせられてきたことか」
声の感じからして隆春が嫌いなわけではなさそうだが、いろいろ思うところが
あるらしい。
(兄妹にもいろいろあるのね)
あゆは自分を振り返り、兄・繁平はいつもあゆに優しいので甘えてばっかりだっ
たな、もしかしたらイヤだったのだろうかと思った。
なお、後日そんな話を繁平にした所、『一度もイヤだったとか思ったことはない
よ。あゆはいつでも僕の可愛い妹だよ』と言われて、あゆは兄がさらに大好きに
なった。
「まぁ、とにかく隆春はすぐに山口になじんだけど、私は山口の華やかさに圧倒さ
れてしまって。それに、女同士って集まるとどうしてもこう、いろいろ値踏みとか
自慢とかしちゃうのよね」
「????? そうなの?」
同世代の姫君どころか下々の民である女子との交流もないあゆには、全然ピンと
こない。
吉田に来てようやく他家の姫や女方と出会ったが、皆と年齢の開きがありすぎて、
そういう対象にすらならなかった。
あややはそんなあゆに、知らないならそのままでいる方がいいのよと言った。
「そんな空気になじめなくてね。集まりとかには顔を出さず、一人で山口のあちこ
ちを巡る方が好きだったわ」
大内家の信仰が篤いためいか、山口には至る所に神社仏閣がたくさんあり、父親
もあややの現状に仕方がないと思ったのか、参拝ぐらいはいいかと思ったのか、
外出を大目に見てくれた。
「幸いにも父の娘ということもあって、どこでも歓迎されたの。そのおかげで、
私は少しずつ山口という西の京になじんでいったのよ。そして、あるお寺で彼と
出会ったの」
それは、山口の郊外にある山寺でのこと。
寺の敷地中に植えられた桜のあまりに見事な咲きぶりに見とれたあややは、つい
桜並木の中へ足を踏み入れ、いつの間にか従者達とはぐれて一人になってしまった。
かなり山に近いところに入ってしまったらしく、寺の姿が見えずどちらに行けば
いいのかわからない。
『よかった。追いついた。君、大丈夫?』
急に心細くなり泣きそうになったあややに、彼は心配そうに話しかけてきたのだ。
「迷子になった私を彼は寺まで送り届けてくれたのよ」
たまたま同じ寺に参拝に来ていて、一人でふらふらと山の方へ行ってしまう
あややの姿を目撃し、心配して追いかけてきたのだという。
「そうなの。それが大内義隆や陶晴賢っていう人?」
「まさか、全然違うわ」
あゆの質問に、あややは手を振って否定する。
「彼は、山口にやってきた国人の子弟と後で聞いたわ。助けてくれたときに、私、
きちんとお礼が言えなくてね。代わりにお礼状を書いて送ろうとしたの。
そしたら・・・」
「そしたら?」
「送ってはいけないと、教育係の局に怒られたわ。良家の姫がお礼とは言え、自ら
男子に文を出すのは、はしたないことなんですって」
「え~~?でも、お礼を言わない方が失礼じゃないの?」
「そう思うわよねぇ」
変よねぇ。変なのと二人は共感し合う。
「父に言って、父からお礼状を出してもらえばいいって言われたけど、そしたら
父に外出を禁止されそうな気がしてイヤでね、なら絶対に直接お礼を言おうって
決意して、いままで避けてきた集まりとかに顔を出すようにしたの」
山口に来ている子弟のほとんどは、山口で開かれる宴や催しに参加するので、
それらに参加し続けていれば必ずどこかで会える。そう信じて、あややは頑張って
参加し続けた。
「それで、お礼は言えたの?」
「それが言えなかったのよ。彼の姿は何度も目にしたのに、周りに人がたくさんい
たり、目付の人の目が厳しかったりして、全然近づけなくてね」
遠くからただずっと、彼の姿を眺めているだけ。
あややと同じ田舎暮らしであろう彼は、山口で見るもの、触れるものすべてに
驚き、感動し、自分のものにしようと努力していた。
どんな人にも謙虚で、礼儀正しくて。
お礼を言うはずだったのに、いつの間にかそんなことを忘れて、ただひたすらに
彼の姿を追っていた。
「日がどんどん過ぎて、とうとう彼が国へ帰ってしまう日が来てしまったの。だか
ら、私思い切って彼に文を書いて、弟に届けてもらったの」
もちろん養育係や父には内緒でだ。弟にもそう強く言い聞かせた。
「隆春に?ちゃん届けてくれたの?」
「絶対渡すようにって、ずっごく念押ししたからね。ちゃんと届けてくれたわ」
しぶしぶと言った感じで彼の屋敷にお使いに行った隆春は、しぶしぶと帰ってき
た。彼からの返信の文と共に。
「はじめて弟を心の底からよくやったと褒めたわ」
「お姉様、すっごくすっごくうれしかったんだね」
「ええ、今でもその時にもらった文は、私の宝物よ」
「・・・・・お姉様。その彼のこと、お慕いしているの?」
ドキドキしている目で尋ねてくるあゆに、あややは微笑んで、
「ええ。とってもとっても、お慕いしているの」
そう答えるあややはまるで幼い少女のようで、あゆはとっても素敵で可愛いと
思った。
「それをはっきりと自覚したのは、彼が国へ帰った後の事よ。私に婚儀が持ちあ
がったのよ」
「隆元お兄様と?」
「いいえ、違う人。最初は、父と同じように大内家に仕える家の方よ」
あややは適齢期を迎え、内藤家の姫として政略の駒となる日がやってきたのだ。
「だけど私、その人と結婚するのがイヤでね」
「なんで?」
「何度か宴や催し物の時にお目にしたのだけど、自分の家の地位を鼻にかけてすご
く偉そうにする人でね。じゃあ、自分は優秀かと言ったらそうじゃないし」
「ほうほう」
「おまけに女の人を見るとすぐに声をかけてね。手を出すのも早いって聞いたし」
「???手を出す??」
「とにかく女にだらしがないからイヤだったの」
「だらしがない・・・・???」
あゆは、あややの言ってることがいまいちよくわからなかったが、とにかく
あややがその人との婚儀を嫌がっていたことはわかった。
後日、事の時わからなかった言葉に意味をあゆは知ったが、その時ちょっとした
騒動になったことだけ伝えておく。
「その方の行状は、父も知っていたから断ることは許してくれたけど、他の婚儀も
断り続けたら怒りだしてね」
(婚儀って断れるんだ)
隆景との婚儀が決まりましたと言われたと思ったら、いつの間にか式を挙げて
いたあゆにとって、断るという選択肢があるなどこの時初めて知ったのだった。
「なら、お前は誰ならいいんだって、言われて。その時初めて彼ならいいと思った
の」
当時、山口は、大内義隆が荒れ果てた都からやってきた公家達を保護し、彼らに
文化の伝承や政務を関わらせるなどしており、一部の武士の公家化が進んでいた。
公家は色恋沙汰命なところがあり、それに付き合う女達もいたが、あややはそれ
になじめず、自分を助けてくれた彼の方正謹厳な振る舞いが心に強く残り、知らず
に惹かれていた。
「それを正直に父に伝えたわ」
「そしたら許してくれたの?」
「いいえ。難しそうな顔をして考え込んだあげくに、無理だって言われたわ。資質
は申し分ないが家格の差がありすぎるって」
「あら~~、そうなの?」
(あれ?でも、ならなんで尾崎のお姉様は、隆元お兄様と結婚できたのかしら?)
二人の家格もかなりの差があったはずではと、あゆは思うが。
「彼がふさわしい相手になる前に、私が行き遅れになるだろうから諦めてさっさと
嫁に行けと言われたわ」
女は若くして嫁ぐに限ると父は言った。
「私、がっくりきちゃって。このまま父の言うままにどこかに嫁ぐしかないのか
なって思ってた」
そんなときだった。
「ある日、大内義隆様の正妻であられた万里小路貞子様が催す宴に招かれたの。
その時、貞子様の姉上様が京の帝という尊い御方にお仕えしてると聞いて、これ
だって思ったの」
「というと?」
「貞子様のような高い身分のお身内がさらに高い身分の方にお仕えしているのよ。
なら私もそんな高い身分の方にお仕えして、身を立てようと思ったのよ」
あややの身の回りにも、家の経済を支えるためや身寄りが無く自分で身を立てる
ために侍女となっている者はたくさんいた。
あややの家より高い身分は、守護大名大内家だ。
あややは、大内家に侍女として仕えることを決意した。
「それをお姉様のお父様は許してくれたの?」
「まさか。守護代の娘が何を考えているんだって大反対されたわ。でも、私も意思
を曲げなくてね。貞子様に直談判したの」
(お姉様って、一直線だったんだ)
「貞子様は戸惑われていたけど、義隆様が面白がられてね。とりあえず行儀見習い
としてお館に上がることになったの」
義隆直々に言われれば興盛とて逆らうことは出来ず、貞子付ならとしぶしぶと
許した。
『よいか、くれぐれも粗相の無いように。常に大内家の重臣・内藤家の姫であるこ
とを忘れぬようにな。それと義隆様と稚児や近習の若い衆が二人だけで部屋に引き
こもったら絶対に近づくんじゃないぞ!!』
という謎の教訓混じりの説教をうんざりするほど聞かされて、あややは侍女生活
を始めた。
なお、この教訓の意味をあややはすぐに知ることになる。
「お館での生活は、それまでとは全く違っていたわ。そう、いろんな意味でね」
「いろんな意味で?」
「いろんな意味で、よ」
それを言うときのあややは微妙に目を横にそらしていた。
「とにかく、お館に上がれば私も姫ではなく一介の侍女だもの。行儀見習いとされ
たけど、心意気はただの人というつもりで挑んだわ」
貞子はあややのために指導役を就けてくれた。指導役の指導は非常に厳しかった
が、あややは素直にその指導に従い、教えが身につくよう努力した。
重臣の娘がお遊びでと、陰口も叩かれたが聞こえないふりをした。
「来たばかりの頃は、陰でこっそり泣いたりしたこともあるわ。でも、私も武家の
娘。負けるものかと踏ん張ったの」
父・興盛には、嫌になればいつでも帰ってこいと言われたが、それが逆にあやや
を奮起させた。
頑張り続け一年、二年と経つ頃には、周囲のあややを見る目が変わっていた。
「奮闘しているうちに、みんなに私の覚悟が伝わったのか、侍女として受け入れて
くれるようになったの。三年にもなる頃には一端の侍女になったわ」
侍女の希望者は大勢いたがやめる者も多く、長く仕える者は重宝される。
あややの先輩は少なくなり、後輩は増えていった。
「やがてはそれなり禄もいただけるようになってね。すごく小さいけど自分の家を
持つことが出来たの。盛詮とあやと出会ったのその頃よ。二人とも私によく仕えて
くれて毛利にも付いてきてくれて、感謝してるわ」
そして、父親にはもう内藤家とは関係ないと言って屋敷を出た。
「独り立ちして、これから自分の力でやっていくんだと思ってた」
「お姉様、努力家なのよ」
「それと気合いと根性ね。寝る間を惜しんで本を読んで知識を身につけ、寸暇を
見つけては、琴や舞の練習に励んで教養を身につけたわ。こういうことは男も女も
かわらないのよ」
「なるほど」
「そして、身につけたそれは決して自分自身を裏切らないわ。あゆ姫、あなたが
身につけたそれもそうよ。学んだことはいずれかならず役に立つ。そう心得ておき
なさい」
「はい」
この時、あややが言ったことをあゆは忘れず、元々真面目な性格も相まって学ぶ
ことを怠らなかった。それは後々役に立つのである。
「義隆様と貞子様は、そんな私をそれは可愛がってくださってね。いつかのときか、
私のことを娘のように思っていると言ってくださったときは、本当にうれしかった」
その時はまだ、本当に義隆の養女になるとは思いもしなかった。
でも、
二国以上を治める英邁な太守でありから、物腰柔らかく、時に身分に沿わぬ
茶目っ気を見せる、憎めないお人柄の大内義隆。
荒れ果ててしまったという京から落ち延びてきながらも、いかなる時も万里小路
家の姫としての誇りを忘れず、毅然としていながらも、情深い万里小路貞子。
お仕えするうちに、実の父母よりも心を寄せ、敬愛した二人に娘と言われたこと
は、とにかく、とにかく、ただうれしかった。
「だから、どんな時でも二人の傍にいようと思っていたの」
「でも、隆元お兄様と結婚したんだよね?」
「そうなのよね・・・」
考え込むような顔をしてあややは、膝を崩し膝の上で手を組む。
そんなあややを見て、あゆは迷いながらも尋ねた。
「お姉様は・・・・その、結婚」
「隆元と結婚したことは嫌じゃないわ。嫌だったら彼の子供なんて産まないもの」
でも・・・とあややはこぼす。
「時期が悪かった・・・・と言えばいいのかしら」
もっと早く隆元に嫁ぐことになっていたら、自分はきっとこれほどまでに山口に
未練も、あの男への遺恨も持つことは無かっただろう。
「尼子との戦いで、後継ぎであられた晴持様を亡くされ義隆様は政務への意欲を
無くした噂されたけど、そんなことないわ。亡くされた原因が配下の寝返りだった
からまずは足下を固めようと腐心されたの。後継ぎも御養子をいただいた後に、
実子の亀童丸様を得た」
無理な尼子との戦いは避けて、国人方も大内方は優遇し、尼子方は排除した。
そうして、義隆は大内最大の版図を築いていたのだ。
「京の朝廷との関係をよくして、九州勢とも渡り合って、勢力は幕府さえ凌いだ。
義隆様は頑張ったのよ。山口を本当の都にするために頑張り続けていた。なのに
周りが・・・周りの連中は・・・。表もそうだけど、奥の女どもよ。おさいの方の
ことでどれだけ貞子様が悩まれたことか・・・」
あややは悔しそうに歯がみして、手を強く握りしめる。
「お姉様、落ち着いて」
あゆがぬるくなった白湯が入った椀を差し出すと、あややは一気に白湯を仰いで、
冷静さを取り戻す。そして、続きを話し始めた。
「当時、大内家の表は、尼子への侵攻を求める武断派と内政に力を入れることを
求める文治派との二つに分かれていてね。武断派の筆頭格があの男・陶晴賢よ」
「あの謀反を起こしたって言う人?」
「ええ。いつかは、とは思っていたけど、本当に起こすなんて・・・」
目元に涙をにじませ、あややは両手で顔を覆う。
「あのバカ。義隆様が腐りゆくのを見たくなければ、隠居でも出家でもさせれば
よかったのに、まさか殺すなんて・・・」
「え?え?どういうことなの?」
戸惑うあゆに対し、涙を拭ったあややは大内義隆と陶晴賢について話し始める。
「陶晴賢もまた、大内家重臣の陶家の子息で、義隆様には自身が子供の頃から仕え
ていたと聞いているわ。そのせいか、彼は義隆様の特別な間柄の側近だったの」
さすがにあゆに晴賢が義隆の寵童とは言えなかったが、意味は伝わったはずだ。
大内家に古くから使える年寄りの侍女に聞いたところ、陶晴賢は義隆の歴代の
寵童達の中でも特別な存在だという。それまで寵童達は、近くに居れば愛でる関係
だったが、晴賢にはわざわざ馬を一刻(2時間)も駈けて彼の屋敷まで会いに出か
けていき、晴賢が昼寝しているからとの理由でさっさと帰ったという。
義隆の身分を鑑みればありえない行動だ。
そしてなにより異様だったのが、通常寵童達が元服すれば終わる関係が、晴賢と
は、彼が元服しても終わらなかったと言うことだ。
あややも館での生活の中で、夜中に人目を避けるようにして義隆の部屋に赴く
晴賢の姿を何度か目撃していた。
最初は表に関する密議でもしているのだろうと思っていたが、館に流れる噂や
その手のことに異様に詳しく、なぜか密かに応援までしている変わった嗜好の侍女
からの説明などにより二人が何をしているのか知って、あややは赤面した。
さすがに沼には落ちなかったが、その晴賢はその時すでにあややの長兄の娘、
つまり姪と結婚していたので、両方相手できる者もいるのかと、仰天した。
「でも義隆様は、晴賢を才ある武将として重用していたけど、任せていた尼子との
戦いで大内が大敗を期してから、家内の動向を鑑みて、一時的に晴賢を遠ざけてい
たらしくて」
あややは、おそらくそれがきっかけなのではないかと思った。
それは、まだ晴賢か中枢に復帰する前のこと。
義隆が出席する宴に侍女として奉じていた際、遠くから義隆のことを見つめる
晴賢を見かけた。義隆に用事があるのかと声をかけたらものすごい目つき睨みつけ
られた。
その時の晴賢の目は、そう嫉妬だ。
男でも女でも晴賢は、義隆に周囲にはべる者達に不満そうだった。
「私がまともに晴賢と話すようになったのは、義隆様の実子亀童丸様が生まれて、
武断派が再び台頭しはじめた頃。出仕した晴賢を義隆様はいつもお側に置いていた
わ。私はそんなお二人の傍に侍女としてよくいたの」
その頃、奥向きは、亀童丸が正室・貞子の子ではなく側室・おさいの方の子で
あったので、正室派と側室派に分かれており、正室派ながらもそんな争いから距離
をおきたいあややは、何くれと理由をつけて表に近い場所におり、そんなあややを
義隆は侍女として傍に置いたのだ。
こうしていつのまにか、義隆の傍には、晴賢とあややがいつも付くようになって
いった。
「ある日、館に柿が献上されてね。充分な量があったから義隆様は、館中の者に
振る舞われたの。私はみんなに柿を渡して回ったわ。もちろん晴賢にもね」
その日は、義隆は奥の女達のところで過ごす予定にしていたため、あややは遠慮
し、柿を配る側に回った。もちろん晴賢にも振る舞われたのだが、晴賢を怖がる
侍女がほとんどだったので、あややが渡しに行くことにした。
その日、晴賢は珍しく、館でも隅の方で滅多に人が来ないところに一人でいた。
周囲には誰もいない
『陶晴賢様、お屋形様より柿のお振る舞いです』
晴賢に柿を渡してあややは去ろうとしたのだが、
『待て。あやや、少し付き合え』
そう呼び止められたのだ。
そんなことは、初めてだった。
『何の御用でございましょう』
顔色を悪くするあややに、晴賢は、
『安心しろ、妻の叔母に手を出そうとは思わん』
と、珍しくふっと笑い、自前の小刀を抜くと振る舞われた柿の皮をむき、二つに
切るとその半分をお前の分だと、あややに差し出してきた。
この方は、そんな顔をしてこんな事をするんだとあややは思った。
「二人で柿を食べていた時、晴賢がこんなことを言ったの。この柿は熟して甘いが、
どんどん熟するとどうなると思うって」
「もっと甘くなる」
「そうね。でもさらに熟したら?」
「え~っと、え~~っと。あっ、なんかぐちゃぐちゃになっちゃうの」
取り損ね、熟しすぎた柿が木の根元に落ちて、ぐちゃぐちゃになっているのを
散歩中のあゆは見たことがあった。
「そのとおりよ。熟した柿は腐るだけ。晴賢は言ったわ、それが今の大内家の末路
だって」
たしかに、山口の文化は円熟し、大内家は最盛の時を迎えていた。
でも、表は武断派と文治派の政治的対立が激化しており、奥も正室派と側室派の
確執は年々深まっていった。
息を潜めている尼子も虎視眈々と大内領に侵入する機会を狙っている。
そんなとき、義隆の関心は京に向かっていた。
朝廷への莫大な献金は、奥にも使える者さえ眉をひそめるものであった。
「お前は、慕う者がただ腐りゆくのを黙っていているだけでいいのかって。その時、
感じたの。晴賢は、義隆様に何かするつもりだって」
「それ、誰かに言ったの?」
あゆの質問に、あややは首を横に振る。
「いいえ。誰にも。大内では奥向きの者が表に口出しすることは、毛利家以上に
嫌われていたし、なにより言う相手がいなかったしね」
全く居なかったわけではなかった。
内藤の父や兄、弟の隆春まであややにそれとなく義隆の動向を尋ねてきた。
でも、あややは何も答えなかった。
彼らがそれを聞いて政治利用することはわかっていたから。
義隆がそれを望まないし、彼らの言うことなど聞かないことはわかっていたから。
義隆には、最後まで義隆らしく振る舞って欲しかったから。
だから何も知らぬふりをした。
「そして、晴賢のやろうとしていることに確信を持ったのは、こんな春の夜に義隆
様と晴賢と私の三人で、花見の宴を開いた時よ」
義隆は、慣れ親しんだもの達だけだからと陽気に振る舞い、月明かりと灯籠の
明かりによる幻想的な光の中で咲き誇る桜を愛でられながらご酒を過ごしたせいで
いつの間にか居眠りをされてしまった。
風邪を引かれないよう、脇息に肩肘を置いて眠りにつかれる義隆を起こして寝所
にお連れしようと思ったが、そっとしておけと晴賢に言われて、持ってきていた
上着を掛けて差し上げた。
そして、晴賢と二人の花見となったとき、またしても晴賢があややに尋ねた。
「晴賢は言ったわ。秋に実った柿が、春を超えて熟しすぎて腐り墜ちる寸前となっ
た。このままなら滅ぶだけだと。その時、おまえはどうするのかって」
その時、不意に室内に外の風が入り込んできて、室内に飾られた桜の花びらを
散らした。不思議だった。ここは吉田で室内のはずなのに、あゆはまるで自分たち
がその夜桜の宴に居るような気がした。
「その時、お姉様はどう答えたの?」
あゆの質問に、あややは告げた。
『「滅びるのなら、その時は共に滅びます」』
あややの答えには、晴賢は、
『お前らしい答えだ』
と満足そうな表情で、酒をあおった。
「その夜からしばらくして、晴賢が他の武断派とともに謀反を起こすという噂が
流れたの。義隆様はすぐさま自分に忠誠を誓う奉公衆を集め、館に閉じこもったわ。
もちろん私も一緒にね」
謀反人の一味には父・内藤興盛も加わっているという噂も流れており、あややは
内通を疑われたが、
『私は侍女としてお仕えして以来大内義隆様に忠誠を誓って参りました。その私を
お疑いになれるのならこれほどの恥はありませんので、今すぐ自害します』
と言い切り、義隆も貞子もあややに限ってそれはないとかばってくれたので、
事なきを得た。
「籠城はわずかな期間で終わったけど、とても長いように感じられたわ。噂は、
事実無根とわかったけど、晴賢は再び義隆様から遠ざけられた」
その頃から、あややは再び父・興盛から縁談を持ちかけられた。
しかし、あややはこれまで以上に強く拒絶した。
「私には、わかっていたの。晴賢は諦めていない。きっとまた謀反を起こすって。
だから私、義隆様と貞子様。お二人の傍から絶対に離れないって決めたのよ」
大好きな2人。
けれど、夫婦の仲は、お菜の方とその子亀童丸の存在により崩壊寸前であった。
あややは、二人の絆をつなぎ止めようと必死だった。
「でも、次の年の春に毛利のお舅様と弟君お二人が山口にやってきて、その年の
うちに私は毛利に嫁ぐことが決まったの」
「お姉様も私のように、なんだかよくわからないうちに結婚してたのね」
「私はまだ少しはわかってたけどね。私と隆元がね、どうして結婚することになっ
たか聞きたい?」
「聞きたいの」
こくこくと頷くあゆに、あややはあのねと答える。
「文をね、使者に渡し間違えられたのよ」
「間違えられた?」
「毛利から来た一行の中に、私への使者がいたんだけど・・・」
いきさつはこうだ。
山口になってきた毛利元就、吉川元春、小早川隆景の一行の中にあやや宛の文を
持つ者がいた。
その者は、山口に到着するなり真っ先にあややに文を渡しに来た。
「受け取る気はなかったんだけど、受け取ってもらえないなら自害する。いつまで
も待つから返事を書いてくれってしつこくてね」
「え~、なんか恐い。誰からの文だったの?」
「もちろん隆元からよ」
「隆元お兄様から?なんで?」
二人は結婚するまで会ったことはないはずだが、なぜ隆元からの文があややに
届けられたのだろう。
「私が話したとってもとってもお慕いした彼って言うのはね、隆元のことなのよ」
「まぁ~~~」
あゆは、驚きと素敵な予感を込めた声を上げる。
「なら、隆元お兄様もお姉様のことを忘れていなかったのね」
「ええ。ずっと忘れられない。毛利家の当主としてまだまだだけど、こんな自分で
良ければうちに来てくれませんかって」
「まぁ~~~」
何年も離れていたのに互いに思い合っていたと言うことか。
物語のようでステキと、あゆは思う。
「それでお姉様?」
「すぐに断ったわ」
「あらら」
とあゆはあややの返答にずっこける。
「なんで?ずっとお慕いし合う同士ってわかったのに?」
「うれしかったけど、その時の私は二十歳を超えてとっくに行き遅れていたし、
なによりお二人のことが心配だったから、今更って感じだったのよね」
当時のあややは、初恋の君の求婚より、陶晴賢が謀反を起こさないことの方が
大事だった。
自分なりに陶晴賢の動向を気にして、変な噂が立たないよう気を配っていた。
「適当に返事をして、隆元とのことはそれで終わるはずだったのだけど、山口に
滞在中の毛利のお舅様がご病気になられて、一行の滞在期間が延びたのよ」
その期間を利用して、隆元からの使者は山口と吉田の間を往復し、もう一度
あややに隆元からの文を持ってきたのだ。
「困ったんだけど、もうこれが本当に最後と思って受け取って、文を読んだのよ。
そうしたら・・・」
《此乃度父元就養生事。医師手配誠恐悦至極存候》
『??????』
漢字だらけの文にあややは、目を丸くする。
あややは一応漢文は読めるが、通常女性相手の文にこんな漢字だらけの文は書か
ない。それにこれは現在病気療養中の毛利元就への看護についてのお礼を述べてい
るが、あややは関わっていない。
何か変だと全文を読み、宛先を見たときあややは青ざめた。
「宛先が、大内義隆様になってたの」
「あらら。じゃあ、お姉様宛の文はどこにいったの?」
「もちろん。義隆様の元へよ」
《年齢とか全然気にしないので、私と結婚してください》
これが読まれた義隆以下表評定に集いし者達は、警護の者に至るまで目が点と
なった。
『わし・・・・、隆元に求婚されちゃった?』
『いや、そんなわけないでしょう。頬を赤らめないでください!!』
『それ絶対、届け先間違ってますよっ』
義隆の一言で目が覚めた者達が騒ぎはじめたことにより、あややの元にその文が
届けられたときには、館中が隆元の求婚の行方で話題が持ちきりだった。
「それを知ったときには、恥ずかしすぎて二日間寝込んだわ」
「あららん」
ちなみに、隆元の求婚文取り違え事件は元就の元にも届いており、息子の不始末
に元就は病状を悪化させ、一行の滞在時間はさらに延びた。
「それで、義隆様直々に尋問されることになって、私、隆元との出会いから正直に
話して最後にこう言ったの。あややはどこにも参りませんって」
『あややは、いかなる時もお屋形様と貞子様のお側におります』
あややは真剣にそう義隆に訴えた。
側を離れたくなった。
晴賢は、いつか必ず事を起こす。
その時は、最後まで二人に、義隆に付き従うと決めていた。
「けれど・・・・」
「けれど?」
「・・・・・・・」
「けれど、どうしたの?お姉様」
「・・・・・義隆様の命には逆らえなくて、結局隆元に嫁ぐことになったの」
そうとだけ、あややは話した。
(義隆様は、私のいうことを真剣には取り合ってくれなかった)
『歳のことを気にしておるのか。二十歳を超えようともおまえは若く美しいぞ』
あややの真剣な訴えに対し、義隆はそう言った。
『いいえ。お屋形様、そうではなく』
『隆元のことをもう好いておらんと申すのか?』
『そうではありません。嫁げないと言われていたので、嫁げるのならそうしたいで
す』
『なら許す。嫁ぐがよい』
優しい顔をして言う義隆にあややは必死に訴える。
『でも、陶が。お屋形様、晴賢は・・・』
『それ以上は、いわんで良い』
義隆はあややの言葉を塞ぐ。
『よい。良いのだ』
『何が良いのですか。私にはわかるのです。晴賢はきっと・・・』
『そなたが気にすることはない』
義隆はやや厳しい声であややを諭す。それは守護大名の声であった。
『お許しくださいませ。でも、だからこそ、あややはお側を離れたくないのです』
泣くつもりなど無かった。けど、あややの瞳から自然に涙がこぼれ落ちる。
『これこれ、泣くな。泣かんでよい』
『申し訳・・・』
もう言葉もでなかった。
『お前の心はよくわかった。それだけで充分じゃ』
義隆はまた優しい声で言った。
『そのお前の心に免じ、あややよ、お前をわしの養女としよう』
その言葉にあややは顔を上げて、義隆を見た。
『これでおまえはわしの娘じゃ。おまえのような親思いの娘を得られてわしは幸せ
者じゃ』
『お屋形様』
『これよりは、父と呼べ。あややよ。そなたは大内一、いや三国一の姫となった。
誰もお前を侮ることはない。堂々と隆元に嫁ぐが良い』
そうまで言ってくれたのに、あややはただ泣くしかなかった。
うれしさも悲しさも、ない交ぜになった涙を瀬戸内の海があふれるほど流して、
あややは、隆元に嫁いだのだ。
「毛利に嫁いでからも、山口におられるお二人の幸せもいつも願っていたわ。けど、
ダメだった。貞子様は私が嫁いで間もなく離縁されて、京に帰られてしまったわ」
山口から京へ帰る途中の貞子からあやや宛に文が届いた。
そこには、あややの幸せを願う歌と縁あるならまた会いたいという歌が記されて
おり、文を読んだあややは涙を流した。
「残された義隆様が心配だったけど、奥には山口の情報は全然入ってこなかったの」
山口と吉田は遠いが、従属関係にあるためある程度の情報は奥にも入ってくるは
ずだ。けれど、意図的に遮断されているのかと思うほど入ってこず、隆元にもそれ
となく聞いてみたが、隆元は、大丈夫だよと答えるだけで何も教えてはくれなかっ
た。
「そして、今から二年前の9月にとうとう恐れていたことが起こったの」
その日、郡山城の表がやけに騒がしくなったと思ったら、侍女のあやが駆け込ん
できて告げた。
『あやや様。陶晴賢ご謀反。大内義隆様は落ち延びられるも大寧寺にて、自害なさ
れました!!』
その報を聞いた瞬間、あややは全身の力が抜け、その場に倒れてしまった。
(晴賢!おまえは、おまえはとうとう・・・・・!)
いつか、いつかとは思っていた。
起きないで欲しかった。
腐りゆくのが嫌なら、なぜ命まで奪ったのか。
「晴賢の奴、謀反なんか起こしちゃって。バカよ。本当に大馬鹿者よ」
そう罵倒しながらあややは、はらはらと涙をこぼす
「でも・・・、本当にバカなのは私よ。全部わかっていたのに、何も出来なかった」
「お姉様・・・」
「晴賢はね、義隆様に最後まで守護大名大内義隆で居て欲しかったの。隠居や出家
した義隆様なんて、義隆様じゃないわ」
栄華を極めたる西の都の主にて、大内家当主のまま。
桜のような華やぎと陽気さをもたれた偉大な方のまま、この世から消えて欲し
かったのだ。
そして、自分の手で殺すことで、あの方を永遠に手に入れた。
「そして、義隆様と共にあいつも死んだ。わかるわ。今の晴賢は生きる屍も同然よ。
大内家を操りながら自分を殺してくれるものを、私を待っている」
「なんでわかるの?」
「感じるの。私と晴賢は同類だから」
同じものを愛した同士として。
あややは、義隆を父として愛し、
晴賢は、主君として片翼の相手として義隆を愛した。
愛の形は違えど、その本質は同じ。
愛する者を喪ってどうして生きながらえようか。
「晴賢もそれを感じ取っていたはずよ。だから他の侍女には冷たい態度だったあい
つも、私にはまだまともな態度を取った」
ああ、そうだ。
私達は、互いに認め合っていた。
だからこそ、止めたかった。
「それに、晴賢が言ったの。柿が腐り落ちたら会いに来いって」
それは毛利に嫁ぐことが決まり一旦実家に戻るために、屋敷や館に賜った部屋を
退出するために片付けに追われていたときのこと。
ある夜、晴賢が館にあるあややの部屋を訪ねてきた。周囲に人はおらず、こんな
時に男女二人きりになるとはどんな噂が立つかもしれないのに、あややは迷わず
晴賢を部屋に招き入れた。
『無防備だな』
『なら、なぜ訪ねてきたの?あなたもただではすまないのに』
『そうだな。聞きたいことがある。おまえはなぜ、あれほど望んだ熟した柿の側を
離れ、まだ熟せるかどうかもわからぬ青柿のもとへ行くことを選んだのだ?』
『お屋形様に嫁げと命じられたからよ』
『ほんとうにそうか?お前は命じられたからと言って素直に従う女ではないだろう』
晴賢はすべてお見通しのような顔を向けてくるので、あややはつんとして答えた。
『どちらも私の大事なものだもの。両方大事にするわ』
『二兎を得ると?女は恐いな。だが、おまえらしい。できるものならやってみろ』
晴賢は、くくくっと低い声で笑う。
『熟した柿はやがて腐り落ちるだろう。その時は、あやや。俺に会いに来い』
『嫁いだ女が夫以外の男に会いに行けますか』
『いいや、お前は来るさ、必ずな。待っているぞ』
そう言うなり晴賢は立ち上がり部屋を後にする。
『お前なら、構わん』
去り際にそんな言葉を残して。
「それで、お姉様は山口に行こうとしたの?みんなを置いていって?」
「・・・・最初からそんなつもりじゃなかったの」
あややは、申し訳なさも含んだ憂えた顔をして話し始める。
「隆元は、私が妻となれるならぜひにと思えた唯一の人だもの」
隆元に嫁げないからこそ、あややは大内家の侍女になったのだ。
叶わないと思っていた願いが、叶った。
でも、
「嫁いだとき、毛利では隆元が心待ちにしてくれていれてね」
婚儀の夜、隆元は優しそうな身なりから思えないほどの力強い腕で、あややを
抱きしめた。
あややが苦しそうにすると、
『すみません。これが夢じゃないって確かめたくて』
と誤り、抱きしめるのをやめる代わりにあややの手を両手で優しく握りしめた。
『あなたと桜の下で出会ってからずっと忘れられませんでした。父や家の者達から
は当主として情けないと言われている私ですが、あなたを大切に思う気持ちは決し
て皆に侮られるものではありません。どうか、私と末永く共にいてください』
山口に居る者達が語る洗練された言葉ではないが、正直で、率直で、隆元の心が
伝わってくる。
『私もずっと覚えていました』
これは本当。義隆と貞子の傍にいたいと願っても隆元のことを忘れたことは一度
もない。
本当ならあややは身も心もすべてを隆元に捧げたかった。
けれど、
『これからどうぞ、よろしくお願いいたします』
それだけ言うのが精一杯だった。
「お舅様を始めとする毛利家の人々も私を受け入れて、重んじてくれて大切にして
くれた。だから私も私が毛利のためにできることをしたのよ。井上一族を成敗する
のに私のツテが利用されても構わなかった」
それがあややなりの誠実だった。
「でも、毛利家は謀反の際に晴賢の味方をしたわ」
義隆に味方した大内勢に城に攻め込み、城を落としてしまった。
「平賀の話でしょ。あの平賀隆保という人は変な人なのよ。会ったこともない私に
お慕いしていますなんて文を書いてきて。隆景様すっごく怒ったのよ。私、平賀
嫌い」
まだ平賀にされたことが許せずむくれるあゆにあややは、あらあらと
「そんなことされたの。なら隆景様が怒るのも無理ないわね。もともと平賀隆保殿
の件は、大内でも無理があると言われていたし、私も良くないことになる、と思っ
ていたもの」
女ではあるまいし、あの混乱の中で助命するなどと言うことは、不可能にだった
に違いない。
恭順するか、戦うかのどちらかだけだ。
「隆元も謝って、訳を話してくれたしね。その件は、もういいのだけれど」
帰ってくるなり、人目をはばからずに土下座してきて妻に泣きながら詫びを入れ
る当主に、あややは許すしかなかった。
それだけだったらまだよかったのだが・・・・。
「毛利は晴賢に味方して、どんどん勢力を拡大しているわ。この混乱に乗して、
尼子が攻めてきているから対処するために、仕方が無いところもあるのだけれどね」
毛利家は、尼子に攻められている安芸の国人達を積極的に助け、どんどん毛利家
に帰順する家を増やしていった。
当たり前だが、彼らは大内家より毛利家を信望している。
「大内家では、晴賢が一度は義隆様の御養子であられた甥御の義長様を当主に据え
られて、一応の混乱は収まった。けど・・・・」
「けど?」
「義隆様の死を悼まう者が誰もいないのよ」
それが一番、あややにとって悲しかった。
「混乱というのは好機でもあるのよ。有能な武将は、この好機を逃さないと言うわ。
御家のためにも殿方は、それでもいいでしょう。でも、女は。それに誰にだって
心はあるはずなのよ」
毛利家では表も奥向きも一体となってこの混乱に対処し、勢力を伸ばそうと謀っ
ていた。
あややも当主の妻として、表向きはそれに従っていた。
そして、たった一人ひっそりと義隆の菩提を弔っていたのだ。
「隆元は、私のために仏堂を造ってくれたけどそれだけだった。義隆様の死が悲し
いと一緒に泣いてはくれなかった」
あややが義隆の死を知って倒れたと聞いて、隆元はあややの枕元に駆けつけ、
『何も心配いらない。義隆様が亡くなられても君は私の妻だ』
そう言ってくれた。
妻の実家の一つが滅び、その力が使えなくなったというのに、隆元は他の有力者
の女に乗り換えるつもりはないという。
あの謀略家の元就の息子とは思えない言葉だった。
あややは、そんな隆元の慈愛に感謝しつつもそうじゃないという思いに駆られた。
あややは、ただ一言、
『私も義隆様が死んで悲しい』
嘘でもいいからその一言が欲しかった。
この時から、あややは人知れず苦悩を抱えることになる。
「私を離縁するつもりはないとは、言ってはくれたのよ。でも、ことあるごとに
そう言ってすがりついてきて、ちょっとねぇ・・・・」
あややの含みある言い方にあゆは、あ~っと理解する。
「なんか、隆元お兄様うざいね」
「そう、鬱陶しいのよ」
あゆの言葉に、あややは頷く。
「わかってますよと、何度言っても『離縁しない、傍にいて欲しい』と言ってきて。
うれしいけど、そうじゃないって、何度隆元を張り倒そうと思ったことか」
あまりの鬱陶しさに産後の肥立ちと義隆の喪を言い訳に、夜を共にするのを拒ん
でいたら我慢できなくなった隆元に押し倒された。
それで出来たのが、幸鶴丸である。
(お兄様も、なんかかわいそうなのよ)
隆元はものすごくあややを慕っているが、ゆえにあややに嫌がられる。
お慕いすぎるのも問題なのねと、あゆは一つ学んだ。
「でも、まぁ、こうして幸鶴が生まれて、私は妻としての役目を果たしたわ」
義隆の死後、義隆を守らなかった父・興盛も思うところがあったのか突如隠居し、
内藤家は今は亡き長兄の子であややの甥の隆世が継いだ。
隆世は、姉が陶晴賢の妻なので、内藤家は陶晴賢に従っているが、それに反発す
る層があややの弟・隆春擁立に動き、家中騒乱の状態にある。
遠からず父が亡くなれば、あややは完全に実家を失うだろう。
毛利家は、大内や内藤なくとも元就主導の下この混乱の中を上手く立ち回ってお
り、役目を果たし、実家を失ったあややは、やがて必要なくなる。
「ありがとう、あゆ姫。話を聞いてくれて」
あややは、あゆに微笑んだ。
「ううん、いいの。お話ししてくれてうれしいのよ」
「話をしてたら心がすっきりして、自分が採るべき道がわかってきた気がするの」
きっとその時選んだ道を、あややは後悔はしないだろう。
なんだがそう思えた。
「あゆ姫、私をもう少しこの屋敷においてもらえないかしら。長居はしないわ。
結論が出る、その時まででいいの」
「うん、もちろんいいよ。いつまでも居ていいからね」
あゆは、一生懸命に答えた。
そして、それ以上は何も言わなかった。
あゆはもうわかった。
今のあややの心を動かせるのは、たった一人の人だけなのだと。
そしてもうその人は、この世にはいない。
「なんだか、お腹すいてきちゃった。お菓子食べよ~っと」
「そうね、いただきましょうか。白湯も飲む?」
「うん」
二人いっしょにおいしいと言い合いながらお菓子を食べ合う。
あゆは精一杯にこの宴を楽しんだ。
もしかしたら、この義姉と最初で最後の花見かも知れなかったから。
そんな二人が知らぬ間に近くに居た、一人の男がそっとその場を離れた。
屋敷のすみで待機していたあや達に、短く挨拶して小早川の屋敷を離れる。
「お話は終わられたのですか?」
馬を従えてきた赤川元保が主君に尋ねる。
「・・・・・・ああ」
「局様はなんと?」
「・・・・・・・・」
主君の青ざめた様子に、元保はそれ以上は聞かない。
ただこの優しく心弱い主が気迷いを起こさないよう、今夜は寝ずに見張っていよ
うと心の中で誓った。