文禄3年。
黒田官兵衛は、小早川家の屋敷を訪れた。
それは、小早川夫妻に養子をとの話で・・・・。
*小早川隆景とその妻・問田大方の創作小説となります。
問田大方の名前は、創作です。
時代の流れに沿って進行しますが、作者の調査不足により流れがおかしい場所や
登場人物の名前が、おかしいときがあるときは、ご了承ください。
また、作者の癖が詰め込まれますので、地雷になる表現がございますときは、すぐさま読了してください。
*最後に、この話は、フィクションです。実在の人物、団体、事件等とは関係はありません。
時は戦国。
文禄3年初春の京都。
豊臣家家臣・黒田官兵衛は、小早川隆景に請われ、小早川家の屋敷を訪れた。
一歩屋敷の中に踏み入れた官兵衛は、異様な雰囲気を感じ取っていた。
「ようこそ官兵衛殿」
今日官兵衛が訪れた要件は、小早川家にとっては重大事項であるが、豊臣家からの
正式な要件ではなく、官兵衛も政権からの使者というわけではない。
それなのに、出迎えた家臣達はみな武家の正装を身にまとっていた。
さらに当主の小早川隆景も従五位下侍従の束帯ではないか、武家の正装である。
しかも着慣れたものではなく、わざわざこの日のためにあつらえたかのような
真新しいものであった。
「すでに奥には通達してあります。参りましょう」
隆景の先導の元に、官兵衛は普段は、家の男達でさえ容易に足を踏み入れること
はない、奥向きへと進む。
奥向きは、屋敷の主の妻である正室を頂点としたほぼ女性だけが住む女の世界。
その奥向きに仕える侍女達は、隆景達の姿を見るなり、その場に跪き、頭を下げ
るが、表の男達より高い。
まるで、ここでは隆景は自分たちの主より低い存在であり、内心侮っているよう
だ。その証拠に、侍女達は皆、表にいる男達と違って格別かしこまった格好はして
いなかった。
「お方様、殿様とお客様がお目通りを願っております」
「入られませ、との仰せでございます」
隆景の妻付らしい侍女が、表のように仰々しい振る舞いで、隆景が来たことを
伝達し、すらっと静かに、目通りの間のふすまを両際からひらく。
「お方様、隆景にございます」
「どうぞ、近う寄られませ」
隆景の妻は、特別かしこまった衣を着ず、くつろいだ姿で部屋の奥・高間に座っ
ていた。
隆景よりは幾分か若く、歳を増してもなお愛らしい印象を与える女性。
背後に描かれた川辺の景色が彼女を水に関わるものであることを示す。
隆景は、まるで太閤秀吉の前に進み出るように礼儀正しく前に進み出ると、決し
て高間に上がらず、妻の目の前でまるで家臣のように平伏した。
「お方様に申しあげます。小早川家の跡継ぎのこと、恐れ多くも太閤殿下より望む
なら殿下の甥御様でられる秀秋様を我らの御養子に降下されようとのお言葉を賜り
ました」
「竹原のご当主殿は、それを受けたいと仰せですか」
この言葉に官兵衛は内心眉をひそめた。
この日の本を統べる太閤豊臣秀吉の直臣にして、100万石を超える中国地方を
支配る大大名毛利家の家臣でもあり、毛利家当主の叔父。
筑前一国あまりを支配し、石高は30万石を超え、従五位下侍従という高い官位を
もつ隆景こそが、小早川家の当主のはずである。
(竹原・・・。そうだ、隆景殿は元々毛利家の出身で、竹原小早川の養子に入った
身だったな)
かつて小早川は沼田と竹原に別れていたが、竹原小早川の当主だった隆景が、
小早川家の宗家で沼田小早川家の当主の妹と婚姻することにより小早川家を統一
し、その後の活躍により、毛利家と小早川家をここまでの大家に押し上げたという。
官兵衛の故郷・播磨でも有名な話だ。
(確か婿入りと聞いているが・・・)
小早川家をここまで大きくしたのは、間違いなく隆景の力だ。
しかし、これほどの遠慮はどういうことだろう。
「秀秋様。金吾様がそのように大きく成られたのですね。それは喜ばしいことです。
ですが、私達の御養子とは。我が小早川家は、筑前一国あまりをいただく大名です
が、太閤殿下の甥御様をいただくほどではありますまい」
「小早川は鎌倉より続く安芸の名門。ゆえに太閤殿下もぜひにとのお考えなので
す。詳しいことはこちらにおわす黒田官兵衛殿から申し上げます」
小早川に矛先を向けられ、官兵衛は状況に戸惑いつつも養子候補である秀秋は、
決して、愚鈍な人物ではないことを説明し、これは小早川家のこれからのさらなる
繁栄のためにも大きな機会であるとつげた。
「人柄については、私も北政所様におられた金吾様を幾度かお見かけしたことがあ
りますし、毛利家当主輝元様からも文が来ています。輝元様も聡明と認める方に
なれたのですね」
「そのとおり、ゆえに、正式に小早川家に入ったあとは、現在続いてる唐入りの
総大将を務めることとなっております。これは小早川家にとって名誉なことです」
「総大将。そうですか。小早川家の養子縁組が整った際には、輝元様からぜひ
御養女との縁組みをとの申し入れです。それでは腰を落ち着ける間もないですね」
隆景の妻は、あまり気が進まなさそうだ。
その妻を隆景が強く説得する雰囲気はない。
どうやら小早川家の跡継ぎが誰になるかは。この妻の一存で決まるようだ。
想定外とはいえ、官兵衛も後には引けない。
豊臣政権が確立されて以来、徐々に中央から遠ざけられている官兵衛にとっては、
中央に意見できる小早川や毛利にぜひとも恩を売っておきたいのだ。
「お内儀殿。大老とも賞される小早川家にふさわしい跡継ぎは、この広い日の本と
いえどもそうそうはいません。秀秋様はそのふさわしい人物です。まだお若いです
が、いずれ、彼を持って小早川と言われる人物となりましょうぞ」
この言葉は後の世において、違う意味でその名が知れ渡る人物となるのだが、
この時の官兵衛は知るよしもない。
「彼を持って小早川・・・ね・・・」
ふふっと妻が笑う。
おかしいのとも、くやしいのともちがう、なにかつっかえが取れたような笑み
だった。
「わかりました。そこまで言われるのなら小早川を秀秋様に託しましょう」
官兵衛は、改めて平伏する、
「隆景様、この話をそのまますすめてください。家中には正式に決定した段階で
改めて通達します」
「御意、承りました」
隆景は平伏したまま告げた。
帰路、官兵衛は、養子という立場はあれほどの活躍と出世をしてもなお弱く、
不安定なものなのだなと痛感した。
一方、官兵衛が帰った後の小早川家の屋敷では、家中のいたるところでどこか
やれやれと気が抜けた雰囲気が漂い、あれほど妻に堅苦しく平伏していた隆景は、
さっさと衣服を着替えて、くつろいだ姿で妻に膝枕されていた。
「あんなにかしこまって。官兵衛様は驚いておられましたよ」
まったく悪い御方と妻はホホッと笑う。
「あれくらいでちょうど良いんですよ。これで、秀秋様が当家に来られてもあなた
が軽んじられることはない」
「まぁ」
「輝元にもよくよく頼んでおきます。秀秋様の妻となる養女にはあなたとも仲良く
なれる人を選んで欲しいと」
「もぅ。殿ったら」
妻は、うれしそうに笑みをこぼす。
「これくらい当然です。これくらいしか私があなたに出来ることはないのですから。
あゆ」
「隆景様」
隆景の言葉に、あゆは少ししんみりした顔になる。
あの時から覚悟はしていた。
それでも、夫の心遣いが、うれしくもありつらくもあった。
(小早川は、私で最後で構わないのに・・・)
これは、二つに分かれていた小早川家を統一し、
日本の賢人、智将、名将として世に名を残した小早川隆景と、
小早川家の最後の姫で、その最後を看取ったその妻が紡いだ、
小早川家の最後の輝きの物語。