天文18年6月。隆景は再び高山城を訪れた。
「お久しぶりです。繁平様、あゆ姫様」
「よくこられた隆景殿」
「隆景様、こんにちは」
あゆは、当主席に座る繁平の側に座り、隆景に挨拶する。
本来、姫はこのような場に同席しないが、あゆが隆景に会いたがり、繁平が
「あゆは同席させた方が大人しい」と田坂全慶の反対を押し切り同席させたのだ。
「この春に実父毛利元就に付いて、山口へ行って参りました」
「山口ってどこ?海にあるの?」
「海の傍にありますが、ここよりずっと遙か西に行ったところですよ。それで、
これらを宗家様に進上いたします」
あゆの質問に答えつつ、隆景は繁平に山口で手に入れた書物を差し上げる。
それを見た田坂全慶は憤慨する。
「竹原殿、繁平様が目が見えないことを知っておきながら本を寄越すとは何事だ」
「よせ、爺。僕が頼んだんだ。もし山口へ行くことがあったら太平記を手に入れて
欲しいとね。読めなくても読んでもらえれば理解できる」
「お兄様、私が読んであげる」
太平記は、南北朝の戦乱を記した軍記物語で、この時代の武士に愛好された。
繁平は、小姓に本を受け取らせ手で触って実物を確認する。
「本の手触りだ。ありがとう隆景殿」
「隆景様、わたしには?わたしにはないの?」
「あゆ姫様には、こちらを」
催促するあゆに、隆景は小さな人形を差し出す。
「わぁ、かわいい」
今まで見たことがないかわいいものにあゆは上機嫌で、小姓が渡すより先に自分
で受け取りに行く。はしたないという田坂の注意も聞かず、あゆは人形を手に取っ
て席に戻ると繁平に渡す。
「お兄様、隆景様がくれたお人形って言うの。触ってみて」
「ありがとう・・・へぇ、人の形をしているんだね」
「お顔はね、ほっぺたがぷくってしてとっても可愛いの。それからね、お着物はね」
「後で聞くよ。それで、隆景殿、大内の大殿様のご様子はどうだった?」
一生懸命人形の説明をしようとするあゆを待たせ、繁平は隆景に山口の様子を
尋ねる。
「相変わらず和歌や蹴鞠に励んでおられましたよ」
そう話す隆景の声を聞いて、繁平は、
「そうか。あゆ、そのお人形を母上にも見せておいで」
「うん」
自分も早く見せたかったらしく、兄の言うことを素直に聞いてあゆは母の元へ
行ってしまい、この場には、男だけになる。
繁平は隆景に尋ねた。
「大内義隆様は、信頼する家臣を大層豪華におもてなしすると、椋梨から聞いてい
るよ。隆景殿もそうなんでしょ?」
「まさか、私は父のおまけに過ぎません」
「じゃあ、毛利殿はそうなんだ。おもてなしってどんなのなの?おいしいものは
たくさん出た?」
「さすがに西の京と呼ばれるだけあって、珍味が並びました。ですが、宴など堅苦
しいだけですよ。連日、いろんな人達と挨拶して疲れるだけです。人に会うたびに
贈り物をするので、出費も大変ですし」
隆景はめんどくさそうに話すが、繁平はふうんと言って話題を変える。
「ねぇ、隆景殿、もう大内義隆様は尼子とは戦わないつもりって本当かな?そうい
う話も聞かされるんだ」
「それはわかりませんが、大内義隆様は、今は戦いより内政を充実させようとして
いる感じはしました」
繁平の父である正平が死亡した出雲遠征失敗以後、大内義隆は失意に陥ったと
言われているが、実際は各地の尼子との戦いに家臣達を派遣しており、大内氏の勢
力圏は保っている。しかし、自身は内政とくに京の朝廷や公家衆との関係を重視し
ていることから家臣達の不満を招いていた。
「それから陶晴賢について、いろいろ噂は出ていましたね」
「陶晴賢ですか。大内家の武断派の筆頭ですぞ」
田坂全慶は、う~んとうなる。田坂の耳にも大内家中に置ける武断派と文治派の
対立の話は届いていた。
「繁平様、今のうちから尼子によしみを通じていた方が良いかもしれません。こう
いうときに立てられる噂は、どのようなものであっても軽く見てはいけません」
「それはよした方が良い。田坂殿。もし義隆様の耳に入れば、今度は城を追い出さ
れるだけではすまなくなりますよ」
隆景の忠告に田坂はむっとする。
「しかし、ここは境目に近いところなのだぞ。いくらそなたの実家の毛利家が活躍
し、神辺城を攻略したとは言え、尼子は強大。いつ戻ってくるかわからん」
神辺城は、尼子氏の備後攻略の拠点である。この城を去年毛利家が中心となった
大内氏方が攻略し、備後は大内氏の勢力内で落ち着いた。
「うん、そうだね爺。つまり、毛利家とよしみを通じていれば心強いと言って事だ
ね」
「し、繁平様、なんということをおっしゃるのですか」
田坂全慶は焦るが繁平は無視する。
「神辺合戦には隆景殿も出陣していたんだよね。椋梨から聞いたよ。無事でよかっ
た」
「ありがとうございます。椋梨殿は、なんとおっしゃっていましたか?」
「隆景殿や毛利家の活躍をいっぱいしゃべってくれたよ。途中であゆが寝ちゃうほ
どにね」
繁平は、クスクスと笑う。
「せっかく来たんだ、今夜は梨子羽の屋敷に泊まると良いよ。梨子羽がぜひにと
言ってたから」
「ありがとうございます」
梨子羽が事前に繁平に進言していたのだろう。彼は椋梨と懇意だ。田坂は絶対に
寄せ付けないだろう。
「あゆに会ったら山口の都の様子を教えてあげてね」
「はい。もちろん」
「それと、うれしいことは素直にうれしそうにした方が良いよ。その方が、声が
綺麗だから」
「・・・・はっ」
と隆景は返事をしつつ心の中で、
(やはり喰えない御方だ)
と冷や汗をかいた。
「隆景様、もう帰っちゃうの?」
隆景が繁平との会談を済ませ、本丸を出ようとしたとき、庭からあゆが走ってき
た。
「あゆ姫様。姫が、そうお城を走り回るものではありませんよ」
「だって、お兄様の所に行ったらもう隆景様いないんだもの」
ぷぅとあゆはむくれる。
「そしたら、お兄様がお見送りしなさいって。だから急いで来たのよう」
「そうですか。お見送りありがとうございます。では、これで」
と、隆景は去ろうとするとが、あゆは「やだっ」と隆景の着物の袖をつかむ。
「あゆ姫様。姫が男の袖をつかんではいけません」
「まだ、お話ししてないの。門まで一緒に行くの」
むんずとつかんで離しそうにないあゆに根負けし、隆景は門までですよと言って
一緒に歩くことにした。
「山口って、京にある都って言うところよりすごいって、ほんと?」
あゆは、隆景に尋ねる。
「らしいですね。京の都は見たことないですけど。そこから来た公家達は遙かに
良いって言ってますよ」
山口は、大内義隆の内政と交易により西の京と称されるほど、当時非常に発達し
た都市だった。諸国のみならず明との勘合貿易も行うなどして交易が発達し、様々
な物があふれ、武士のみならず、商人や公家をはじめとする文化人など多様な人々
が集まっていた。
「すごく煌びやかな場所です。だからこそ、気を引き締めていないとすぐに身を
持ち崩す危険な場所でもある」
隆景は山口で繁栄を謳歌するばかりでなく、そこからはじき出された人々も目撃
していた。
「隆景様、山口きらい?」
「行く必要はありますが、長居はしたくない場所です」
「どっちなの?」
「大人は、好きも嫌いも言ってられないんですよ」
(・・・・・って、何を言っているんだ、私は)
こんな子供を前に愚痴めいたことを言ってしまうとは、しっかりしろ隆景。
もう元服はすんでるだろと、心の中で自分を叱咤する隆景17才であった。
「えーっと、そう。山口で出会った公家が言ってたんですが、今日の日あたりを
彼らは、腐れたる草蛍と為ると言うんですよ」
「え~っ、腐った草なんて全然きれいじゃないの。ホタルはきれいなの」
話題を変えろとひねり出した隆景の言葉に、あゆは嫌そうにする。
「ですよね。でも、彼はそれを風流だそうですよ」
「クゲという人は変なの」
ぷんすことするあゆが、この時代の一般的な感覚では無いだろうか。
当時、教養ある人は限られていた。互いに理解があれば良いが、蔑めばそれが
やがて対立を生んだ。
「でも、彼らが作った「消え候わんとて、光増す」というのは、良い言葉だと思い
ますよ」
「どういう意味?」
「消えるからこそ光り輝くといいますか、ホタルは飛んだ翌日には死んでしまう
でしょ。明日死ぬからこそ、彼らは全力で輝いて夜の空を飛ぶんですよ」
「・・・・・うん、それならわかる」
あゆも一応理解できたようだ。
そんなことを話しているうちに門に付いた。
「では、今度こそお別れです。お見送りありがとうございました」
袖を離してくださいと隆景に言われて、あゆは、
「うん・・・・隆景様」
「はい?」
「また来てくれる?」
「ええ。また」
そう言ってもらえたからかうれしそうに手を離した。
その夜、梨子羽の屋敷に泊まった隆景は、酒席であゆと話したことをしゃべると、
梨子羽から近所の小川でホタルが飛ぶのを見られると聞いて、彼の案内で見に行っ
てみることにした。
「これは・・・・見事だな」
夜の川のほとりは、まるで幻想のようなほのかな輝きを放っていた。
山口で知り合った公家に見せてもらった枕草子という書物に、夏は夜がいいと
書いてあった。闇の中にホタルが飛び交う夜もまた。
「綺麗でしょう。夏の間はずっと見れるんですよ。私どもは見慣れてるんですが、
たまの客人にはとても喜ばれるんです」
蛍の光を見慣れているという梨子羽の言葉に、隆景はふとあゆ姫に教えた言葉を
思い返す。
(消えるからこそ光る・・・か・・・)
ふと、消えるために光る、とも思えた。
隆景が見た限り、山口の繁栄はすさまじい。でも、同時に家中の不満も高まって
いる。
(それに気づかないはずのない父は、なぜあの話を受けたのだろう)
それを父はありがたいと喜び、兄は恐れ多いとしながらもその日が来るのを指折
り数えて待っている。
『うれしいことは素直にうれしそうにした方が良いよ』
突然、繁平の言葉が聞こえて、隆景は我に返り周囲を見回す。
そこには、付いてきた者達がいる以外は蛍が飛び交うだけだ。
「うれしい・・か。うん、そうだな」
いろいろ思えど、大内家の者達に尊敬され、頼りにされる父の姿を見るのは、
うれしかったし誇らしかった。
いつも暗い表情をしている兄が明るくなり、うれしそうにしていた。
年が離れているし、すんでいるところも離れているせいで上手く付き合えていな
いが、山口に行く自分をいろいろ心配してくれた兄だ。
素直に祝いたい。
そんな事を思った蛍狩りの帰り道、隆景の前を1匹の蛍がすうっと通り過ぎて
いった。はぐれホタルだろうか。枕草子は、蛍が1匹で飛んでいる夜も良いと言っ
ていた。仲間がいなくとも闇の中を強く光り、己の行く道を己で照らす。
そんな一匹狼の蛍よりもより強烈な光を放ち、己が道を行く人物が自分達の前に
現れることを隆景は知らない。
***********
その年の秋。
父に呼ばれた隆景は、実家である吉田郡山城で兄隆元の婚儀に参列した。
花嫁の実家は、充分すぎるほどの支度を調えて、花嫁を送り出したらしい。
出迎えた花嫁行列は、絢爛豪華を極め、山頂にある城に先頭が到着してもなお
最後尾はまだ麓ではないかと思えるほどの長さだ。
そんな行列を引き連れて輿入れしたのは、あやや姫。
大内義隆の養女であり、大内義隆の最大の重臣内藤興盛の娘だ。
知性深く、教養豊かであり、容姿端麗で慈愛にあふれた姫ゆえに、大内義隆が
大内で最高の男に嫁がせることを約束したという、掌中の珠だ。
その最高の男とされたのが、毛利元就の嫡男で、現当主である隆元だ。
大内義隆は、隆元が山口に人質としてやってきた際に、再興の教養や勉学を身に
つけさせるなど世話を焼いたほど、隆元を大層気に入っていた。
内藤興盛も嫡子に送るはずの鎧を隆元に送るなど、大いに期待しているようだ。
だが、正直なところあまりにも格差がありすぎる婚姻だった。
花婿は、ある程度力があるとは言え大内氏配下の国人衆にすぎず、一方の花嫁は、
守護代の実の娘で、守護大名の養女だ。
事実、婚儀の席では、花婿の隆元は、緊張か萎縮かコチコチに固まっており、
花嫁は、楚々と見せながら堂々とした立ち振る舞いで、余裕のある大輪の花のよう
な笑みを浮かべていた。
「大丈夫ですかね、あれ」
「いざとなりゃ大丈夫だろ。惚れた女ならなおさらな」
心配する隆景に対し、吉川元春は全然心配しないどころか、振る舞われた酒のう
まさに舌鼓をうっていた。
「うめぇ。これ、大内からだろ。さっすが姫様。ゴチになるぜ」
「やれやれ、元春兄上はのんきですね。隆元兄上もあんなに心待ちにしていたのに、
いざ当日となるとあんなに固くなってどうするんですか」
「見惚れてるだけだろ。俺だってそうだったぜ。隆景は女をわかってねぇな」
「失礼ですね、私だって女性くらい・・・」
その時、なぜか脳裏にあゆ姫の顔を浮かび、隆景は、ないないとすぐに打ち消し
た。
「どうした?」
「いえ、なんでも」
「それより長いこと独り身だった兄上の婚儀だぜ。素直に祝ってやれよ」
「・・・・そうですね」
その時、すでにできあがっている参列者から酒を勧められたため、今夜は特別と
隆景も杯をあおった。
「いやぁ、めでたい。これで後継ぎできれば毛利は安泰ですな」
別の参列者が隆景に寄ってくる。
「吉川元春殿もすでにご結婚され、去年後継ぎが出来ましたし、次はあなたの番で
すな。小早川隆景殿」
「いえ、私はまだ・・・」
「なにをおっしゃる。もう嫁を迎えても良い年頃ではありませんか」
隆景は、今年17だ。武門の子としては適齢期だ。むしろ、隆元の方が遅かった
とも言える。
(嫁、か・・・)
噂によると、数年前に山口に下向した際に出会った初恋の君が忘れられなかった
が故にずっと独身を貫いてきたという。
事実、隆元は、元就や奥向きを仕切る元就の側室・中の丸が心配するほど女を
寄せ付けなかった。隆景も山口から帰ってきた隆元が、誰かからの文を見ながら
元気のないため息をついていた姿を目撃したことが何度もあった。
その隆元が今回の縁談が決まったとたん、やたら張りきり、今日という日を心待
ちにしていたのだ。
その噂の初恋の君というのは、もしかしたら大内の姫のことだったのかも知れな
い。
でも、そんなのは稀な話だ。
武門の子の結婚には政略がつきまとう。
自分が竹原小早川に養子に出されたように。
「実は、私の下の娘が年頃でして、隆景殿とちょうど釣り合うかと」
「あいにく、私は兄上と違って、父の許しがない結婚はしない主義でして」
「あんだと、隆景、この野郎」
元春が素なのか酔っ払ってるのかわからない態度で、隆景に絡む。
結婚には政略がつきまとうので、親の許可を得て行うのだが、元春は父・元就の
許可を得ずに妻と結婚してしまったのだ。元就は、政略的に相手の家を良しとみた
こととやむを得ない事情から元春の結婚を許したが、面目を失ったと嘆いていた。
それを見た親孝行な隆景は、絶対に父を嘆かせる結婚はしないと決めていた。
「ははっ、親孝行でなにより。ですが、全く意中な姫がいないと?」
「いいや、いるはずだ。この間、山口に行ったときにものすげぇ時間かけて誰かへ
の土産を買ってたじゃねぇか。あれ、絶対女に渡す奴だろ」
山口に行った際、社交の合間をぬって元春と隆景は兄弟連れだって、山口の町に
土産物を買いに繰り出した。元春は、妻と息子への土産をさっさと決めたのだが、
隆景は、土産の本はすぐに決めたもの、もう一つの方を選ぶのに、あちこちの店を
巡ったのだ。付き合う元春がいい加減飽きてきた頃、ようやく隆景は人形を一つ
買ったのだ。
「違いますよ。あれはそんなのじゃありません。私にそんな姫は・・・」
その時またしてもあゆ姫の顔が思い浮かび、隆景は違う違うとかぶりを振る。
「やっぱいるんじゃねえか」
「違います。いません。彼女は対象外です」
とにかく、と元春の突っかかりを隆景は制す。
「私の結婚相手は父が選んだ女性です。小早川にも毛利にも有益な女性ですよ」
もういいでしょうとやけくそ気味に酒をあおる弟を元春は、なんだかかわいそ
うな者を見る目で見た。
(そうだ、武士の婚姻に恋や愛など不要)
必要なのは、利用できる関係だと思う隆景だが、祝いの膳に菓子が盛られている
ことに気づく。大内の姫が婚儀のために持ち込んだものだろう。山口以外ではみら
れない菓子だ。
『わぁ、おいしそう。隆景様ありがとう』
なぜか、そう言いながら大喜びするあゆ姫の顔が思い浮かんで、隆景は、
(土産にもって帰ってやるか)
と、持っていた懐紙に出された菓子をすべて包んだ。
婚儀は、黄昏から夜に駈けて行われる。
華燭の宴に明々と灯された燭台やたいまつから放たれる赤い光が、夜の城を照ら
した。
これが、一つの時代が終わりを迎えるための始まりの光だとは、この時、誰も
気づかなかった。