その日、それは唐突にぷつり・・・と切れた。
「・・・・ん?」
急に首回りが鬱陶しくなり、サー・カロンは、首後ろで束ねていたはずの自分の
髪がばらけていることに気づいた。
部下から報告を受けている最中の出来事であり、後でなんとかしようと思ってい
たが、相づちを打つ度に髪がバラバラと肩の前に出てきて、それを肩の後ろにやっ
てと、鬱陶しいことこの上ない。
「誰か、髪留めを持っていないか?」
報告を受けるのを一時中断して、己の髪を後ろ手でまとめながらサー・カロンは
近くにいる部下に尋ねたもののその多くがショートヘアの者ばかりであり、髪留め
を持っていなかった。
「あの、サー・カロン」
集団の後ろの方にいたロングヘアの若い女性構成員がおずおずと前に進み出てい
た。
「あの、これ、私の私物ですけど差し上げます。よろしければ、使ってください!!」
バレンタインに憧れの先輩男子にチョコをあげるような勢いで恥ずかしそうに
その女性構成員は、持っていたヘアゴム髪留めを差し出す。
遠くから見えれば微笑ましい部下と上司のやりとりだが、その髪留めを目にした
古参の構成員達は皆一様に顔を青ざめさせた。
「ば、馬鹿者、そんなチャラチャラしたものをサー・カロンに差し上げると何事
だ!!」
たまらず年配の男性構成員が声を荒げる。
と言うのも女性構成員が差し出したヘアゴムは、ピンク色のゴム紐にイチゴの
チャームが付いているいかにも女児向けの可愛らしいデザインだったからだ。
死を操る冥王星における王の右腕で、しかも男性であるサー・カロンが身につけ
るには異色すぎる代物である。
その場にいた誰もがサー・カロンの怒りの雷が落ちるのを覚悟した。
「申し訳ございません。サー・カロン!!後でよくよく言い聞かせておきますので」
どうかご勘弁をとばかりに頭を下げる男性構成員の目の前で、サー・カロンは、
「ああ、これでいい。ありがとう。助かった」
となんの戸惑いもなくひょいっとイチゴピンクのヘアゴムを受け取ると、それで
さっさと自分の髪を縛ってしまう。
「うん、これですきっとした。すまなかったな。後で新しいのを送ろう。これはど
このブランドだ?」
「あの、それはサン・ジュエルっているところのですけど、そんなお返しなんて」
「わかった。後で調べておこう。さぁ、報告の続きをしてくれ」
(えーーーーーーーーー!?!?!?!??)
平然と仕事にもどったサー・カロンに、居合わせた構成員達は心の中で驚愕した。
***********
長め任務を終え、しばらくぶりに本拠地に戻ったケルベロスは、行きの時とは
違い、妙に場の空気が緩んでいることに気づいた。
「見て見て、今度これを贈ろうかと思うんだけど」
「きゃ~、可愛い。今回もバッチリ似合うわよ、きっと」
「これもらっちゃった」
「うわっ、いいなぁ」
「あ、おまえそれ、この前自分があげたヤツじゃん」
「えへっ、こっそりおそろにしちゃった」
自分がいない間に何かのやりとりがブームになっているようだった。
もっともそんなことに全く興味のないケルベロスは、それらを無視して
サー・カロンに今回の成果の報告に行く。
「今回も無事で何よりだ、ケルベロス」
いつものように出迎えてくれたサー・カロンを見て、ケルベロスは珍しく驚いた
表情を浮かべる。
「どうした?お前がそんな顔をするなんて珍しいな」
「いえ、失礼しました」
ケルベロスは表情を慌てて直して、尋ねる。
「サー・カロン。その髪はどうなされたんですか?」
「髪?」
「珍しい髪飾りを使っているようですが」
「ああ、これか」
そんなことかとサー・カロンは、自分の前髪をとめる派手な蛍光色のピン止めに
触れる。
「この前もらったものだ。このところ、若い部下がよくこういうのをくれるんだよ。
理由はよくわからないが、無下には出来ないからな、日替わりでつけてるんだ」
髪留めもそうなんだとサー・カロンはくるりと後ろに向く。
サー・カロンはいつも自分の長い髪を後ろで束ねているが、その髪は今、いつも
の何の装飾のないシンプルなヘアゴムではなく、可愛らしいパンダイラストの顔の
チャームが付いたヘアゴムで束ねられていた。
「そうでしたか」
ケルベロスは、先ほどの浮ついた空気の原因はこれかと感づく。どうやら若い連
中の間でサー・カロンにいろんな髪飾りを贈って、それをつけさせるのがブームら
しい。
新規入会者がサー・カロンに初めて面会した時、彼の顔の仮面とつり上がった眉
と目つきのせいで厳しく恐い人だと思われやすいのだが、実はサー・カロンは、任
務以外のことについては部下に対してかなり寛容だ。
任務についても失敗しても即切り捨てるのではなく、挽回のチャンスをきちんと
与えている。
この組織が、絶対者なるキング・ハデスの元に鉄の結束でまとまっているのは、
№・2であるサー・カロンの寛容さも一因だ。
(それにしても、サー・カロンの優しさにつけ込むようなマネをするとは)
サー・カロンが、任務に絡まない限り、意外に自分のことに感しては無頓着であ
ることについて、ケルベロスは知っていた。
プレゼントされる髪飾りが、可愛らしすぎるとか、サー・カロンにとっては本当
にどうでもいいのだろう。
(だからと言って、せめてあんな安物をじゃなく、もっとちゃんとしたものを送る
べきだろ)
さらに、こんなまねをする連中の中には、サー・カロンとおそろいの髪飾りをつ
けようとする輩までいるのだ。
ケルベロスは胸の奥がもやもやとする。
「優しすぎる・・・」
「ん?なにがだ?」
サー・カロンは再び前に向き直りながら尋ねる。
「サー・カロンは、部下に寛容すぎるかと」
「そうか?まあ構わないじゃないか。こんなものつけたところでどうなるわけでも
ないし。問題ないさ。それより今回の任務の報告を聞こうか」
全く気にしていない様子のサー・カロンに、ケルベロスはもやもやがムカムカと
なりながら報告を開始した。
それからもサー・カロンに髪飾りを送る小さなブームは続いた。
しかし、そんな日々も唐突に終わりをつげる。
「サー・カロン。最近若い者達が浮ついているようだが」
キング・ハデスが唐突に口を開いた。いつもなら若い連中が騒いでも余裕の笑み
で、愉快そうな表情を浮かべるのだが、今日は面白くなさそうな顔をしている。
「そうですか?みな、よくやっておりますが」
「ふん。わからんとはな。お前もその体たらくだし、無理もないか」
「・・・・・」
キング・ハデスが何を言わんとしているのかと気づき、サー・カロンはばつが悪
そうにため息をつく。
「申し訳ありません。今日一日は見逃していただきたく・・・」
今日のサー・カロンが身につけている髪留めは、いつもの可愛らしいチャームが
付いた安っぽい物ではなく、つまみ細工で作られた花で施された上品なデザインの
髪飾りであり、花のガクには小さいながらも本物の宝石が使われ、値が張る代物で
あることは明かだった。
贈られた時は、さすがのサー・カロンも驚き内心困ったのだが、贈ってくれた人
物の『絶対もらってくれますよね?』という有無を言わさない妙な圧に、断ること
が出来ず、やむなく受け取ったのだ。
「申し訳ありません。部下の気持ちを無下に出来ないあまりのことでしたが、どこ
かで注意すべきでした」
サー・カロンは頭を下げる。
若い部下達が、自分に髪留めを贈ることを面白がっていることはわかっていた。
贈られたのは安価な代物であるし、地下に潜り、閉塞的な空間で活動せざるをえ
ない以上小さな空気抜きは必要と考え、好きなようにさせていたのだが、
(まさか、あの子まで乗っかかるとはな)
そんなものに興味のなさそうな子だったのに、完全に予想外だった。
「お前の気遣いの深さは組織には必要だが、必要以上に甘やかすな」
「はい。心に刻みます」
サー・カロンとしても、そんなつもりは毛頭ないのだが、無意識に出てしまうよ
うだ。
「なので、私は明日一日休暇をいただきます」
「なんだ急に」
「髪留めを買いに行くんですよ。いつものストックが切れていたところにこの
ブームでしたからね。忙しさにかまけて補充するのを忘れていたんです」
このブームが続いた一因は、サー・カロンにもあったのだが。
「なので、明日のご用はケルベロスにお願いします。彼には伝えておきますので」
「まったく、示しが付かんな」
この優秀な右腕の昔から変わらない無頓着に、キング・ハデスはもはやため息す
ら出なかった。
翌日、予定通り休暇を取ったサー・カロンは、買い物を終えて本拠地に戻った。
自室に帰ったサー・カロンは、机の上に小さな長方形の箱が置いてあるのに気づ
き、眉をひそめた。
箱は明らかにギフト用だ。
サー・カロンはやや緊張した面持ちで、机の上に置いてる贈り物の箱を手に取ってじっくりと観察する。
メッセージカードの類いは添付されておらず、誰が送り主かわからない。
通常自分に対する荷物は、贈り主から直接か検査後に部下の手を通して渡される。
それが、誰の手も通さずに部屋の主の許しがなければ入ることが出来ないはずの
部屋に置かれている。
もしそれを現実に可能とするならば出来るのはただ一人。
(吉と出るか凶と出るか・・・・)
サー・カロンは、緊張を解かないまま箱を開封する。
「おや、これは・・・・・」
中に入っていた物を目にした途端、緊張が解けた。
箱の中に入っていたのは、編み込まれた紐が一つ。
複雑な編み込みがまるで龍のように見えるその紐には見覚えがあった。
それは、サー・カロンがキング・ハデスと出会ったばかりの頃のこと。
おなじように唐突に髪留めが切れたため、手元近くにあった紐で適当に髪を縛ろ
うとするサー・カロンに、キング・ハデスはあきれた表情で一本の紐を寄越した。
『これで結べ』
『これは?』
『ある芸術家が考案した飾り紐だ。なんとなく持っていたが使い道がないからな。
お前にやろう』
その頃はまだ自分が一方的に慕うばかりで、深い信頼関係が出来ておらず、とき
に自分を邪険にしていたキング・ハデスがプレゼントしてくれたことがうれしく
て、すり切れるまで使い続けた飾り紐。
同じようなものが店に見つからず、こっそり調べたら考案した芸術家は、その
編み方を誰にも伝授しなかったらしい。
だからもう二度と手に入らないのだと思っていた。
「幻となったこの紐をまた手にすることが出来るとは」
サー・カロンが、その芸術家とキング・ハデスの関係を知るのは、その後のこと。
誰にも伝授しなかったという幻となった飾り紐を編めるのは、今やただ一人。
「ありがとうございます。キング・ハデス」
そう心からの感謝と、あんなことを言った人に素直でないんだからとのおかしさ
とうれしさで、サー・カロンは顔をほころばせた。