蒸し暑い8月の夜。
寝付けず、起きていたスグリは、部屋のドアを叩く音に手元の本から目を離した。
「だれだ?」
「俺だよ。クラウスだ」
かられた声にスグリの眉間に深いしわが刻まれる。
まさかまたタキ様に無体を・・・と、急ぎドアを開けたが、意外にもそこはクラウ
ス一人がたたずんでいた。
「おっ。起きてたか」
「・・・・お前だけか?」
「そうだよ。中、入っていいか?」
そう言われ、なぜだか分からないがスグリはクラウスを部屋の中に通した。
「なぁ、グラスあるか?」
2つ欲しいんだけど、と言いながらクラウスは手に持ってきたアルミのバケツをど
んと乗せる。
バケツの中には氷がどっさりと入れられ、その中に身を沈めるワインの突起部分が
頭をのぞかせていた。
どうやらここに来るまでにぬるくならないように、簡易のワインクーラーを自作し
て持ってきたらしい。
「そうしたんだ、それは?」
「ん?タキが俺にって取り寄せてくれるやつだよ。こう暑い夜には冷えた白ワインが
うまいぜ」
タキがと聞いて、スグリはわずかに顔をしかめる。
酒を飲むことが禁じられているタキが、国内各所の酒蔵や西方から酒を取り寄せて
いることは、ハセベやウエムラから聞いていた。
禁を破ろうとしているのかと当初は疑われたが、なんてことはない。それらはすべ
てクラウスに渡されている。
あらゆる権利を放棄している騎士だが、かといって禁止されているものは何一つな
く、クラウスは、肉食、酒淫を禁じられているタキの騎士でありながら、肉を食らい、
酒を飲む。最近は控えているが煙草も吸っていた。
「ほら」
「Danke」
スグリがワイングラスをテーブルの上に持ってくると、クラウスは、ワインクーラ
ーからワインを引っ張り出し、持参したコルク抜きでコルクを開ける。ポンといい音
がして、景気よく抜けると、グラスに中身を注ぎ入れる。とたん、ほのかな香りが鼻
腔をくすぐった。
「Prost」
クラウスは、グラスを一つ手に取り、スグリの方に差し出す。
「?“Prosit”じゃないのか?」
「あれは、新年を迎えたときとか、祭りの時に使うんだよ。身近な者同士なら“Prost”だ」
「なるほど」
スグリは納得して小さくその言葉をつぶやき、もう一つのグラスを手に取ると、クラウスの方に差し出した。チンと冷たい音が鳴った。
「・・・・いい酒だな」
「だな。あいつ自分じゃ飲まないくせに、酒の銘柄は外さないんだよな」
そうそうに1杯目を飲み終え、クラウスは2杯目をつぐ。
「本当は、タキと飲みたかったんだけどさ。ほらあいつ今、潔斎中だろ。なんだっけ、
オボンとかいう行事のためにさ」
「そうだったな」
毎年8月15日が盆の日とされる。その日は、祖先の霊が冥界から現世へ還ってく
ると言う。迎え火をたき、祖先を招き入れ、祭り、送り火で送り出すのだ。
だが、還ってくるのは祖先の霊だけではない。
「それってさ、弔いの行事なんだろ。なら終わればあいつも酒を飲めるのか?」
「弔いの酒か?まぁ。清めとも言えるが。かといって、酒盛りなど言語道断だ。もと
もと酒淫を禁じられている方。だいたい、タキ様は清めの酒でさえ口に触れる程度し
か飲まれん」
「あ~、じゃあ無理か」
「第一、あの二人が許さないだろう、ただでさえ、お前のためにタキ様が酒を取り寄
せるのでさえ、目くじらを立っているのだ。大人しくしていろ」
スグリの厳しい言葉に、クラウスがチェ~と口をとがらせる、
だが、ふと冷静な顔つきになりつぶやいた。
「けど、いつか必ず、飲まなきゃならねぇ時が来る。今までとは違う、本当の意味で
の弔いの酒をな」
「・・・・・」
そのときはきっと、口に触れる程度ではすまないだろう。
「今日は、どうした」
スグリは、グラスをテーブルの上に置きクラウスに聞いた。
「なんで、訪ねようと思ったんだ?」
「ん~」
クラウスは、中を見回して、答えた。
「実はさ、ここくるまで、3人組と怪談ていうのをやってたんだよ」
3人組とは、タキの傅育子であるダテ、モリヤ、アズサのことである。
もともとのきっかけは、夕食を終えたクラウスが、言葉の勉強のために図書室でア
ズサに教えてもらいながら本を読んでいたことに始まる。
その時、たまたま手にした本の中に、怪談話を特集した本があったのだ。
もっとも、クラウスは意図してそれを手に取ったのではない。
話せるとは言え、読むのはまだまだ不十分のクラウスは、本の雰囲気で手にしただ
けであった。
顔色を変えたアズサは、本当にそれを読むのかと聞いてきたが、お前が嫌なら別の
本にすると、クラウスはあっさりと答え、本を棚に戻そうとした。
それを止めたのは、ダテであった。
モリヤと二人でやってきたダテは、クラウスが手にしていた本のタイトルを読んで
おもしろがり、怪談をしようと持ちかけてきたのだ。
「アズサは嫌がってたんだけど、モリヤが乗っかってきてさ。意外だったな。あいつ
ホラー好きだなんて思わなかったよ」
もっと現実的なやつだと思ってたというクラウスに対し、スグリは何となく二人の
心中を察した。
「・・・・それで」
「で、成り行きで俺も加わることになって。4人で俺の部屋でやることになったんだ」
なぜ、クラウスの部屋かというと、一棟小屋になっているので、近隣に迷惑になら
ないからだそうだ。
「そのとき、ダテが死者と会える話をしたんだ」
ダテいわく、会いたい者を思い浮かべながら丑三つ時にある儀式を行うと、その者
を冥界である黄泉の国から呼び出せるという。
「馬鹿馬鹿しい話だぜ」
「だが、そのようには見えんが」
スグリは静かにそう答える。
口ぶりと違い、クラウスの表情は始終冷静なままだった。
「何か琴線に触れたか?」
スグリの問いかける声に、クラウスはしばし沈黙し、こう答えた。
「なぁ、スグリ。あんたは幽霊でもいいから、もう一度会いたいやつっているか?」
「・・・・・・・!」
クラウスの言葉にスグリは目を見張る。
「懐かしい連中がいるんだ」
死ぬとは、闘うこととは、戦争とはどういうものか教えられたあの日々。
俺の懐かしい連中。
いつ出撃命令が下るか分からないなか、共に笑い、言葉を交わし、酒を飲んだ。
あの日もまた逢おうと約束して、共に空へ飛び立った。
あいつらがハヤブサのように飛び立ち、猟師に狩られた鳥のように地に舞い落い
ていく様は、今でもこの目に焼き付いている。
あいつらを失ったあの日からタキに出会うまで、俺はうつろの中にあった。
「スグリにも、いるだろ?懐かしい連中が」
「・・・・・・そうだな」
初陣の戦い。
地獄とはこういういうものだとと思った。
大人も子供もそのほとんどが、生きて還ることはできなかった。
国を守るためにすべてを置き去りにして、命を賭して戦ったのに、我らが同胞と
異邦の者達の血と油を吸い穢れた大地と共に流され、忘れ去られた。
口にするのもはばかれる存在となりはてた者達。
「だが、会いたいとは思わない」
「なんでだ?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・でもさ、いつか必ず会うだろう?」
クラウスは言った。
「人間はさ、いつか必ず死ぬんだから」
「・・・・・・」
ふいにスグリは、ワインの瓶をひったくるようにして持つと、中身を一気に仰ぎ飲んだ。
「あ っ!!」
ぐびぐびといい音を鳴らして喉の奥へと流し込むと、スグリは、どんっ!と叩きつけるように
瓶をデーブルの上に戻した。
「げぇー、残り全部飲んじまったのかよ。」
クラウスは瓶を手に取ると、中身が残ってないか、振ったり、逆さにしたりして確かめる。
「やかましい」
スグリはふんと鼻を鳴らしながら、ぎっと口元を袖でぬぐう。
「酒の一つや二つでぐだぐだ言うな」
「これプレミアム物なんだぜー」
あーあ・・・と、がっくりした仕草でクラウスは瓶をテーブルの上に戻した。けれど、その瞬間、なんだか肩から力が抜けて、ふっとクラウスは口元を緩めた。
「なぁ、スグリ」
「なんだ」
「また一緒に酒を飲もうぜ」
「・・・・・いい酒を持ってくるならな」
「了解」