井坂専務からみる伊集院の話
純情ロマンチカ 井坂 伊集院
十数年前に書いた話です。今の原作と話の内容や流れが違いますのでご考慮ください。
「専務、会議のお時間です」
秘書の朝比奈に言われ、井坂はかったるそうにふぁぁぁと大きなあくびをする。
「はいはいっと。・・・・・で、何の会議だっけ?」
「伊集院先生作『ザ☆漢』のメディアミックスの件です」
たんたんとした朝比奈の声に対し、井坂はあ~~~っとぽりぽりと頭をかく。
「あの先生か~~~。ならこっちも本気で行かんと・・・・」
「はい。すでに用意してあります」
と朝比奈は、井坂に眠気覚ましのコーヒーを手渡す。
「ザ☆漢」は、丸川のみならず業界でもトップクラスの売り上げを誇る超人気マンガ
だ。
その売上累計数は、他の作品とは桁違いであり会社の上層部すら気を使う。
ひとつ売れるものが出るとすぐにメディアミックスの話が出るのが、この業界だ。
すでにフィギュア化はしており、限定品の中には、ネットで数百万円で取引されている
物も少なくない。
そのメディアミックスでも大きいのがアニメ化だ。
もう何年の前から製作会社から話は来ているのだが・・・・。
「桐嶋から報告は来てるか?」
「いえ、特には・・・」
連載されてから10年。
トップクラス作品となってから数年も経つというのに「ザ☆漢」は、これまで一度も
アニメ化されたことがなかった。
アニメ化の話はかなり前から出ているのだが、伊集院からOKがでないからだ。
はじめて、伊集院から了承しなかったとの報告を聞いた井坂は、正直驚いた。
もう何十年も前から、数多くのマンガはアニメ化されており、アニメ化されるマンガは
人気作品とまで言われている。
マンガ家の中には、アニメ化を夢見ている者が多く、話が出ると二つ返事でOKを出す者
がほとんどだ。
少女マンガでは、吉川千春がそれであり、文芸ではあの宇佐見秋彦でさえ反対はしな
かった(もっとも宇佐見の場合は、本人の面倒くささと自分が書く以外のことは他人に
任せきりという部分が大きいが・・・・・)
とにかくNOと言われるとは思ってもみなかった。
ここで「落としの井坂」の登場だ。
製作会社と当時のジャプン編集長に泣きつかれた井坂は、伊集院の説得に向かった。
もちろん自信はあった。
だが伊集院は、説得に定評のある井坂でさえ一筋縄ではいかない相手だった。
「先生、なんとか考え直していただけませんか?」
「井坂さん。申し訳ありませんが、僕はその気がないんです」
井坂の説得の間、伊集院は終始冷静に、アニメ化の話を断り続けた。
こういう相手は説得がしにくい。
これが、宇佐見秋彦ならどうだろう。
秋彦もまた気難しく、煩わしいことは大嫌いな性格だ。
ただ、自分が書くこと以外は興味がないので、一度OKさせてしまえば、後はこちらの
ものだ。
何より子どもの頃から知っているせいで、説得のツボは心得ている。
けれど、伊集院は違う。
井坂はいまいち伊集院の性質をつかめていなかった。
普段は落ち着いて穏やかなのだが、いったん製作に入ると熱く激しく、うまく創作が
のらないと地面にのめり込むように落ち込み暗くなり、時に自暴自棄になる。
熱いのか、冷めているのか。
秋彦とはまた違う扱いにくさ。気心も知れていないから下手なことを言えず、秋彦に
するように、素をさらけ出すことも出来ない。
(どうにもやりにくい・・・・)
ただ、わかっているのは、伊集院が自分の作品に対していつも真剣だと言うことだ。
担当の桐嶋いわく、伊集院はいつもどうしたら作品が面白くなるのしか考えていない
らしい。
ドツボにハマるのも締め切りのギリのギリのギリギリまであがらないものその真剣さ
ゆえ。
伊集院がアニメ化について反対なのもそれだった。
自分の作品が他人に好き勝手に触られるのは嫌だと。
アニメ化すると、OVAは別として、原則週一放送で話の進展が早く、アニメオリジナル
エピソードが入ることはもちろん、放送枠に入れるために原作を変えてしまうことも
ある。
それゆえ別物になったりとトラブルも絶えないのも事実だ。
伊集院は、「ザ☆漢」を愛していた。
過去に行ったフィギュア化に関しても伊集院は容赦ない。
デザインは自分で考え、試作品も気に入らないところが合ったら容赦なく指摘する。
「すごい」「感激です」とただできた物を褒め称え、これでいいですと二つ返事をして
しまう作家が多い中、伊集院は制作会社泣かせとまで言われている。
しかし、作家の熱か入っているからこそ、どれも人気と売り上げを誇るのだ。
井坂が見るところ、伊集院は数少ない本物だ。
(秋彦の奴ももっと他のことにもここまで真剣になってくれればな)
商業主義の井坂だが、井坂なりに商品は大事にしている。
「さてと・・・・・」
コーヒーを飲み終えて、カップをソーサーに置く。
「朝比奈。服」
「はい」
朝比奈にスーツのジャケットを着てもらい、もう一度ネクタイをビシッと締め直す。
伊集院は真剣だ。
だからこちらも真剣でなければ、彼は決して答えない・
(「落としの井坂」の本領発揮よ)
「いってくる」
「いってらっしゃいませ」
さあ、伊集院はどんな顔をしてくるのか。
(まぁ、今度は諦める気はないけどな)
前回は、伊集院を説得しきれず話は流れた。
だが、今回の劇場アニメ化は、丸川の威信がかかっているし、読者の長年の望みでも
ある。
読者の希望を叶えるのも出版社の仕事だ。
「待たせたな」
井坂は、伊集院の待つ会議室のドアを開けた。