列車突入作戦からだいぶ時間が経つが、いまだクラウスとアズサに軍への復帰許可
は降りていない。
ただ、タキの話による感触はよいようだ。
こんな時勢だ。穢れだ何だと言っていられない時が来ている。いずれ許可は降りる
だろう。
そのいつ来るかわからない時を待ちながら、クラウスはアズサに教えてもらいなが
ら、持てる時間をひたすらこの国のことを知るための学習に費やしていた。
クラウスの傷はあらかた塞がり、いつまでも寝ているだけではと外出の許可が出た。
最も屋敷内からは出ることはできないが。
体力回復を目的に、クラウスは朝夕と屋敷内を散歩する。レイゼン家の屋敷は広く、
歩くとちょうどいい運動になる。
散歩には、アズサも付き合った。
アズサも体力をつけたかったし、クラウスはいまだ単独行動に白い目を向ける者が
多くいるので、アズサが監視同行役を買って出た形になった。さすがにアズサに疑い
の目を向ける者はおらず、二人だけで歩くことができた。
屋敷の庭にはいくつかの東屋が点在しており、二人はそれらを休憩場所として
使っていた。
自然の風景を生かした庭を眺めながら、二人はたわいのない会話をかわした。
「あーだいぶ落ちてるな、こりゃ」
「何がですが?」
「力だよ。体力とか筋力とかな」
クラウスは、うーんと渋い顔になりながら言った。
「前線に出る前に鍛え直しておかねぇと。といってもまだスグリの許可が下りねぇし」
スグリは外出の許可は出したものの、激しい運動や筋トレなどはまた禁じていた。
もう少し傷が回復するまで待てという。
「なかなか治りきらないものですね」
「だいぶ、無茶したしなぁ」
しょうがねぁとクラウスはため息をつく。が、「あっ、でもよ」と不意におかしそう
に笑う。
「ウエムラの親父に一泡吹かせられたのはいい気味だったな」
それはスパイの件のことだ。
クラウスはタキに命じられ、密かに西方の情報を集め動向を探っていた。それを憲兵隊
隊長のウエムラ少佐に知られ、西方の間諜として激しい尋問を受けたのだ。
タキにくれぐれも内密にと言われていたため、クラウスはウエムラ少佐にも正直に
命令のことを告げなかった。タキが間際で助けなければ、そのまま殺されていただろう。
結局、クラウスの部屋からは何も出てこず、一応の不問とされたのだが、クラウスが
一泡と言ったのはそこからだ。
スパイは、自国民の中にこそいたのである。
「そのときのウエムラの親父の顔を想像するだけでおかしいぜ」
クラウスに疑いの目を向け結局何も出てこなかった直後だっただけに、衝撃は激しく、
尋問は過酷なものだったようだ。
「士官候補生の子が見つけたらしいですね。捕らえた予備役の兵と商店主以外にも
複数人いたとか」
「らしいな。馬鹿な話さ。あーこういうの、この国の言葉でなんて言うんだったけな。
「灯台下暗し」だったか?」
「はい、正解です」
アズサは、よくできましたとパチパチと拍手を送る。
「全くこのご時世に、身内に裏切り者はいねぇと思ってやがるなんて。やっぱりこの国は
まだまだ甘いな」
西方での軍生活を経験したクラウスの言葉には重みがあり、アズサはこの国の軍人とし
て恥ずかしく思う。全く思っていなかったわけではないだろうが、やはり身内を見る目は
甘かったのだろう。ウエムラ少佐はしばらく落ち着きがとれなかったらしい。
帰還したクラウスのことに関しても、徹底した無視を決め込んでいる。
(ハセベ侍従長も決まりが悪そうにしてたっけ)
ハセベ侍従長はタキの身の上を心配し、アズサに作戦行動中にクラウスを始末するよう
命じた。しかし結局クラウスはタキを裏切らず、裏切りは身内から出た。その裏切りを
発見したのはクラウスを慕う子供だ。
その子は終始、自分が勇気ある行動に出られたのはクラウスのおかげだと、言っていた
らしい。名はハルキ・ヤマモトと聞いている。
敵国人でありながら、国とタキを守ろうとするクラウスと、
この国の者でありながら、国とタキを裏切ろうとする民。
(何も言わなかったな・・・・)
ハセベはクラウスを始末するよう命じたことが実行されなかったことについて、帰還し
たアズサに対し何も言わなかった。そもそもそんな命令など下していないような態度をと
り、何も触れず、沈黙を貫いている。
その態度、あっぱれというか、狸親父というか。
そもそも、直前にハセベ侍従長があんなこと言わなきゃ、もっと素直に大尉のこと援護
できたのに、と今のアズサにはハセベに対する恨み言しかなかった。
「なんか、お礼しねぇとな」
「え・・・・?」
クラウスが漏らした言葉にアズサは耳を傾ける。
「お礼ですか?」
「ハルキにな。あいつがスパイを見つけてくれたからエウロテの謀略もばれたし、俺への
疑いも晴れたし」
ハルキは大人たちに止められたに関わらず、何度かクラウスのところへ見舞いに来た。
アズサもその場面に何度か遭遇したことがある。子犬がしっぽを振るように懸命にクラウスに
話しかけ、言葉をかけられると目を輝かする子供だった。こちらがうらやましくなるほどの、
親愛の情を露わにして。
「外への外出許可が出たら、一度街にでも連れてってやるか」
そう言うとクラウスは立ち上がり、ぐぐっと背筋を伸ばす。
「そろそろ行くか」
はいと、アズサも立ち上がろうとしたとき、ずきんと胸の奥が痛んだ。不意に顔をしかめ、
背中を丸めたアズサにクラウスはどうした?と声をかけ、駆け寄り、アズサの前にしゃがみ
込む。
「どうしたアズサ。傷が痛むのか?」
クラウスは、アズサの顔を下からのぞき込むように言葉をかけた。
「い、いえ。大丈夫です」
アズサは顔を横に振るが、胸がつきつきと痛んでしょうがない。訳がわからない痛みを、
アズサは懸命にこらえる。
「平気です。もう少し休んだら治まりますから。大尉は先に帰ってもいいですよ」
「バカ。そんな状況のお前を一人で置いていけるわけねぇだろ」
ぼんと叩くようにアズサの頭に手を置いて、クラウスはアズサの横に座り直す。
「つらかったら、身体を預けてもいいぜ」
「そんな・・・」
アズサは言葉をなくす。そんなことをしたら、胸がさらに高鳴り、息もできない。
「10分経ってもとれないようなら、スグリのとこへ連れてくからな」
「・・・・・はい」
顔を赤らめ、沈黙したアズサの横でやれやれとした顔をするクラウスはぼやいた。
「しっかりしろよ。それじゃ一緒に行けねぇだろうが」
えっ?とアズサがクラウスの方を見る。
「さっき言ったろ。一度街に連れてくって」
「僕もですか」
「当たり前だろ。お前にも礼があるしな」
何言ってやんがだというクラウスの顔からは、冗談は伺えなかった。
(あ・・・・・・・)
不意に痛みが止んだ。
「え、いいんですか!?」
スグリから外への外出許可が下りた矢先、見舞いに来たハルキにクラウスは助けてくれ
たお礼として街に連れて行くと告げた。
「今度の休み開けとけよ」
「はいっ!!」
目をきらきらと輝かせるハルキのおしりからは、ちぎれんばかりに振られる子犬のしっぽ
が見える。想像するだけで可愛らしくて、アズサはクスッと笑った。
「アズサもな、体調は整えておけよ」
「はい」
アズサはにこりと笑って返した。
「よく慕われているな」
スグリの言葉にそりゃ皮肉かよとクラウスは返す。
「俺もな、以外だよ。でも悪い気はしねぇ」
「そうだろう、慕われていい気分のしない人間はおらん」
スグリは、パタンと薬箱のふたを閉めて、しばし考え込むような表情をする。
「大尉、最近アズサ少尉と親しいようだが」
「まぁな。あいつにはいろいろ助けられてる」
「親しくするのはかまわんが、クラウス忘れるな。お前はタキ様の所有物だと言うことを」
「・・・・・・・はぁ?」
いまさら何言ってんだお前、という目をするクラウスに、スグリは銃弾を撃ち込むような
ことを言う。
「街に行くならな、クラウス。私の兄の店に寄れ。新作のスーツができたそうだ」
新作のスーツという言葉に、クラウスはぞぞぞと背筋を震え上がらせ、顔色を青くする。
「い、イヤだ・・・。絶対行かねぇ」
「行かなきゃ向こうから押しかけて来るぞ」
「追い返せ。俺が穢れているからとでも言って叩き出せ!!」
クラウスの心底嫌だという言葉にスグリは後ろ目で返す。
「穢れているというと街へ入れなくなるが・・・・」
スグリの言葉にクラウスはうっと詰まる。
タキは、クラウスとアズサの中間地帯入りについて箝口令を出し、穢れはないと言って、
領内に入れる許可を与えた。
クラウスとアズサにも穢れについて口にするなと堅く厳命を出している。
「ぐ、くくっ・・・」
クラウスが悔しそうなうねり声を上げる。
身一つでこの国に来て、タキに服を作ると言われ採寸されたのが運の尽き。
その体格の良さをすっかり惚れ込まれ、お代なしで、次々と新作のスーツをプレゼント
されるのであった。 そしてそのたびに新たな採寸を強いられるのだ。
スグリと同じ顔で紳士的な態度と口調で迫られる。思い出すだけでぞっとした。
約束の日、朝早くからクラウスはオートバイを出し、アズサとハルキを乗せ街に向かった。
街までは少し距離があるが、そんな朝早くから出る必要はなかったのだが、作戦の時から
日が浅いので人目を憚ったのだ。この国の者は、迷信深くタキに許されているとはいえ、
アズサやクラウスが自由に師団内を歩く回るのに眉をひそめる者が少なからずいた。
「ちょっと早く着いちまうが、もう店は開いてるだろう」
「そうですね、どこへ行きましょうか?」
サイトカーに乗っているアズサが声をかける。
「クラウス様。僕、銃装屋に行きたいです」
「銃装屋?」
「クラウス様にいただいた銃を入れるホルスターが欲しいんです」
「支給されるヤツに入れりゃあいいだろう?」
「イヤです!!」
耳元で怒鳴られ、クラウスは顔をしかめる。
「耳元で大声出すな」
「クラウス様にいただいた銃なんですよ。そこらのホルスターなんかに入れられません!」
「・・・・・そうか」
クラウスはあきれつつ、バイクを街へと走らせた。
街に着いたクラウスは、銃装屋の前にバイクを止める。
「いらっしゃい」
「こいつに合うホルスターを選んでくれ」
クラウスがハルキの背中を押して店主に頼む。幼い少年にホルスターを選ぶことに店主は
笑いつつも複雑さを見せていた。
「もう初陣ですかな」
店主は戦場に出るという意味で言ったらしい。クラウスが目を細めるのに対し、ハルキは
笑顔で返す。
「いえ、僕はまだ。正式にはこれからです」
ハルキは偶然という形だが、クラウスに連れられ前線を体験している。しかし、そのことは
口にせず、これからだと言い張る、ハルキにとってあれは自分の戦いではなかったのだ。
「この銃を入れるのにふさわしいホルスターが欲しいんです」
ハルキは、もってきた布に包んだ銃を取り出す。
「ベレッタですか。しかしずいぶん使いこまれている」
「これは僕が尊敬している方にいただいた銃なんです」
ほぅと言う顔をする店主に、ハルキは愛おしげに銃を見つめながら語る。
「この銃は僕の重みです。みっともない僕を忘れないための。だからこそ肌身離さずつけて
いたいんです」
まだ13歳になったばかりの子供が言うにしては、妙に重みのある言葉。
店主はふむと何かを悟る。
「わかりました。ふさわしいのを選びましょう」
そう言って店主は店に飾ってる商品からではなく、奥に閉まってあった商品を取り出して
くる。
「こちらなどいかがでしょう」
店主が出したホルスターは黒光りする皮のヒップホルスター。金のボタンがアクセントとなり、なかなかのデザインだ。
「・・・・かっこいい」
ハルキはそれを一目見るなり目をきらきらとさせる。
「ふぅん、なかなかいけたデザインじゃねぇか」
のぞき込むようにしてそれを見たクラウスもホルスターの良さを認める。
「これでいいのか?」
「これがいいです・・・」
ハルキの言葉にクラウスはわかったと店主の方を見る。
「いくらだ?」
店主が出した値段にアズサは思わず高っかと心の中で声を上げ、ハルキを思わず
えっと顔を青くする。
しかし、
「わかった、それでいい」
クラウスの返事にアズサはえっと驚き、ハルキもクラウスの顔を見上げる。
「でも、クラウス様、僕そんなにお金」
「俺が買ってやるよ」
「えっ!」
ハルキは驚きの声を上げる。
「そんなクラウス様」
「この間の礼だ。受け取っておけ」
店主にホルスターを包むよう指示し、支払いの手続きに入るクラウスの腕をアズサ
は引いて、思わず後ろから耳打ちする。
「ちょ、大尉。いくら何でも高いですよ。ハセベ侍従長が許しませんよ」
「なんでそこでハセベの親父が出てくるんだよ」
「えっ、だって大尉お金」
「ちゃんと支給されてる。騎士分の手当上乗せでな」
「えっ?そうなんですか?」
「タキがくれた。俺の自由にしていいってさ。だから心配するな」
騎士はあらゆる権利を放棄しているが、主の許可が下りたモノは別だ。
タキは、クラウスを騎士にしたとは言え飼い殺しにするつもりはなく、自分に仕える者と
して、手当・休暇などの権利は保証し与えていた。
(大尉って一体いくらもらってるんだろう・・・?)
この国に来てたった半年で、あの値段のが払えると言うことは、かなりの金額を支給されて
いると言うことだ。
まぁ、基本的に衣食住はタキが支給しているので、他に使い道がなかったのかもしれないが。
クラウスは軍票を切り、支払いを終え、受け取ったホルスターをハルキに手渡す。
「ほらよ、大事にしろよ」
差し出されたホルスターを前にハルキはぽかーんと口を開ける。
「何、惚けてやがる。ほら受け取れ」
クラウスは無理矢理ハルキの腕に、ホルスターの入った箱を抱かせる。
ハルキは、ふるふると震えながらぎゅっと箱を抱きしめた。