『こういうのはな、相手がどうのこうのっつうより、自分がどうしたいかなんだよ』
『自分で決めろ。何をしたいのか、どうしたいのか。自分のことは自分で決めるしかねぇんだ』
『アズサ、お前はどうしたい?』
金色の目がアズサに決断を迫る。
(ねぇ、僕はどうしたい?)
戦時下である。
敵が攻めてこない日々はない。
今日も今日とて、敵の部隊が攻めこんできて、三葉の薔薇の紋章を刻んだ戦車が
今日も荒野を駆け巡る。
本日も何とか敵部隊を撃退し、無事師部に帰投することができた。
スグリが、ムラクモから降りると少し遅れて帰投したクラウスが声をかけてきた。
「スグリ、ちょっと聞きてぇんだが」
「なんだ?」
「今日さ、ムラクモの中で妙な空気とか流れなかったか?」
「妙な空気?」
「ああ、こう重苦しいとか、息苦しいとかそんな空気だよ」
「戦場に立つのに軽々しい空気などあるわけないだろう」
「そうじゃなくて、アズサかとモリヤから流れてくると言うか、二人の間に不穏な空
気が流れてるとさ」
「・・・・・・・あの二人に何かあったのか?」
「まぁな。けど、あんたが感じないって言うんだったら、大丈夫だったんだな」
なら、よかったよかったと笑うクラウスに、スグリは不審の目を向ける。
「クラウス、近頃お前はいったい・・・・」
「クラウス大尉!!」
ムラクモの上から威勢のいい声をかけられ、二人して上を見上げる。
「お疲れさまです」
アズサはシュタッと地面の上に飛び降りて、クラウスの前に立つ。
「ご無事で何よりです」
「ああ、サンキュ」
「あの、突然なんですけど、今日部屋に伺ってよろしいでしょうか?」
「いいけど、どうかしたのか?」
「いえ、あの先日のお礼をしようと思いまして。昨日実家から言いワインが送られて
きたんです。それで・・・」
「分かった。部屋でグラス冷やして待ってる」
「はい。必ず持って行きますね」
ではとアズサはぺこりと頭を下げて、本部の方へかけていった。
「・・・・なにかしたのか?」
「悩める青年の悩み相談」
尋ねてきたスグリにそう言うと、あーあとクラウスは頭の後ろで腕を組む。
「・・・・タキもあれくらい言えればいいのにな」
「はい、乾杯」
「乾杯」
チンとグラスを合わせて、中の酒を仰ぐ。
「うまいじゃねぇか」
「お気に召しましたか、よかった」
クラウスが早々にグラスを空け、もう一杯と注ぐ様子を見てアズサはウフフと笑う。
「ずいぶん機嫌がいいじゃないか」
「そうですか?」
「ああ」
もう一杯目を飲みつつクラウスはアズサに聞く。
「あいつのことはうまく処理できたんだな」
あいつのことといわれ、アズサは目を少し伏せがちにする。
「はい、これからもずっと仲間だって伝えたら、受け入れてくれました
「そうか・・・」
(ずっと「仲間」ね。やっぱ残酷だな)
そして、それでもいいと言うとは、あいつも見かけによらず・・・とクラウスはく
すっと笑う。
「でも、まぁ、よかったぜ。ヘンな後腐れがなくて」
「・・・・・・・」
アズサはグラスの中のワインを見つめながら、モリヤとの話と時のことを思い出す
『なぁ、アズサ、一つだけ聞いていいか?』
『うん、なに?』
『お前のその大事にしている万年筆、お前の好きな人とか言うヤツにもらったのか?』
とたん、アズサはポンと一瞬で耳まで赤く染まる。
それを見て、モリヤはやはりという顔になり、さらに続けた。
『それをくれたのはヴォルフシュタット大尉だろう?』
『な、なんで・・・?』
『大尉自身に聞いた。この国のことを教えたお礼としてあげたそうだが・・・』
モリヤの眼光が鋭くなる。
『お前にとってはそうじゃないんだろう?』
『・・・・・・・・・』
アズサは、顔を赤くするのみで答えない。
『やはりそうか』
モリヤはため息をついた。
『なるほど、お前があれだけ厭がるはずだ。お前は昔から本当に大切なモノは、てこ
でも渡さなかったからな』
それは、アズサがクラウスから万年筆をもらったばかりの頃、その万年筆を使い報
告書を作成していたアズサは、休憩のため万年筆を机の上に置いていた際、同じく報
告書を作成していたダテがモリヤから直しを要求され、その直しのため、何か書くモ
ノを探していた際アズサが置いた万年筆に目をつけ、それを使おうとしたのだ。
するとそれに気づいたアズサがものすごい勢いで奪い返したのだ。
『これはダメ!!絶対にダメ!!』
幼い頃と同じ迫力で怒るアズサに、モリヤとダテはぽかーんとしてしまった。
『全くとんでもないのに惚れたな』
モリヤはめがねの鼻当てに手を当ててうなる。
『わかっているのか?あの人はタキ様の騎士だぞ』
『わかってる』
『あの方のモノだ。奪うことは許されない』
『わかってるよ!!』
アズサはムキになったように言い返した。
『そんなことはじめから知ってる。大尉は最初からタキ様のことしか見てない』
それでも、とアズサは、ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を止めることはできなかった。
『どうしようもないんだ。僕はあの人が好きだ。どうしようもなく好きなんだ』
恋の不条理。
なぜ、あの人だったのか。
どうして、あの人じゃないとダメなのか。
『それほどまでに思うなら、仕方が無いな』
モリヤは言った。
『騎士の誓いは誓った本人は縛られるが、その他の者までは縛れないからな』
『モリヤ・・・・』
『心は自由だ。好きになったのなら仕方が無い』
それでもとモリヤは言う。
『それでも早めに決着をつけろ。大尉がタキ様以外に心を捧げることは無いとは思う
が、心とは制御できないモノ。タキ様に知られる前に必ずつけておけ』
これはお前のためでもあるんだとモリヤはアズサに言い聞かせる。
『気をつけろアズサ。タキ様は・・・・・・』
「・・サ、アズサ」
名を呼ばれたことに気づきアズサははっとして顔を上げる。
「まーた、考え事としてたな」
「・・・・・・すみません」
アズサは小さくなって下を向く。
「まぁ、別にかまわねぇけどさ」
ぐびりとワインを飲むクラウスにアズサは聞いた。
「あの、大尉、片思いってどう思います?」
「はぁ?」
クラウスは間の抜けた返事を返す。
「なんだお前、そいつのこと振ったんじゃなかったのか?」
「いえ、あの、そのこととは別で」
「あー・・・・」
そうか、そうか、なるほどねという顔をして、クラウスはグラスをテーブルの上に
置く。
「だから振ったのか・・・。わかった。ここまで来たなら聞いてやるよ。で、片思い
がどうしたって?」
「えっとあのですね。絶対実ることのない相手に恋をしてしまった場合どうすればい
いんでしょうか?」
「え、おまえ、そんな・・・」
まさかそんなえらい相手に惚れているとは思っていなかったため、クラウスは内心、
こいつ見かけによらずしてすごいヤツだったんだなとアズサへの評価を見直した。
(誰だ相手は?お姫さん`ズとかか?)
タキには妹が6人いる。みなレイゼン家の姫君のため将来選ばれる相手は格式が高
い相手に違いない。一応アズサはタキの乳母子であるから、その辺はクリアしている
だろうし、見た目も性格もなかなかだ。問題を強いて言えば、年齢が少々離れすぎて
いることか。
決定権のあるタキは妹たちには幸せになってほしいと言っていたし、もし本人たち
がそう望むならあっさり許すだろうから、絶対実ることがない、とは言えない。
となると後は・・・、と考えてクラウスは、はっとなる。
(まさか、タキ!)
あり得なくはない。
何せ幼いときから一緒に育っているのだ。
そのときは何とも思っていなくても、成長した後そう思ったっておかしくはない。
この国で男が惚れて絶対実ることがない相手は宸華の者ぐらいだ。
スグリは、宸華の者は婚姻を除いて清浄潔斎が求められる身の上だと言っていたし、
後に調べた本でもそう書いてあった。
うわぁ~とクラウスは頭を抱えたくなる。
まさか、ライバルの恋愛相談に乗るとは思ってもみなかった。
はぐらかしてもいいが、アズサは真剣に悩んでいるようだし、何よりその様子が
ルッケンヴァルデでのタキの姿に重なって・・・・。
沈黙してしまったクラウスに、アズサはしまった聞くんじゃなかったと後悔する。
「すすすすみません。ヘンなとこ聞いて。ごめんなさい、忘れてください」
真っ赤になってぺこぺこと平謝りするアズサ。
その姿に口をへの字にさせつつもクラウスは
(どうも嫌いになれねぇな。こいつ・・・)
と思っていた。
敵国人である自分に敵意の目を向ける者が多かった中で、アズサは数少ない例外だ。
半分エウロテの血を引くせいもあるだろうが、話しかければ誠実に対応してくれた。
この国のことを学ぶのに付き合ってくれていたとき気づいたのは、知識の豊富さと
優しさと頑固さだ。
軍人としては半端であるが、伸びしろもある。なにより他人(ひと)の言うことを
素直に聞いて努力しようとする。
実はこういう人物に、クラウスみたいな人間は一番弱い。
素直さ、甘ったれ、優しさと慈愛の深さ。
それは、クラウスと同じ種類の人間には最も縁遠く、最も焦がれるものでもある。
(しょうがねぇよな)
タキにことに関しては分が悪すぎるクラウスである。本来なら独占欲を丸出しにす
るところだけれど、今は・・・・・。
「こんなこと聞かれたって困るだけですよね。すみま」
「いいんじゃねぇの」
クラウスの言葉にアズサはえっとつぶやく。
「好きなんだろ、ならしょうがねぇじゃねぇか」
あっさりと言い切られたとこにアズサはとまどう。
「そ、そんなのでいいんでしょうか」
「それしかしょうがねぇだろーが。前にも言ったが、こういうのは自分がどうしたい
かなんだよ」
クラウスは続ける。
「このまま黙って、思い続けて、そいつが他のヤツに捕られていくのを指をくわえて
みているのもよし。諦めて他のを探すのもよし。告白して玉砕するのもよし」
そのうちのどれを選ぶのかは、すべては自分次第だ。
そして結果は相手次第。
「こんな時は、自分が一番後悔しないやり方をとるべきだけどな。そういう相手なら
相手のことを一番に考慮しろ。もし相手が告白されたときのお前のようになるような
ヤツだったら、人知れず諦めておく方が無難だな」
そう語るクラウスの顔は、だんだんと意味深げなものになる。
(大尉も誰かそういう人いたのかな・・・)
クラウスは騎士だ。
でも、誓いを立てる以前は普通の人だから恋も諍いもしただろう。
誓いを立てても、彼は人だ。すべてを捨てても、時折思い出すことがあるのかもし
れない。
「た、大尉だったらどうしますか?」
アズサは震える声で尋ねた。一瞬クラウスが間抜けた顔になる。
「は?俺?」
「いえ、あの、大尉は向こうでそういう経験は無かったのかなと思いまして。その・・・・・
参考に」
消え入りそうな声で聞くアズサに、クラウスはああとうなずく。
「ないってことはなかったな。ちょっとした有名人だったし」
どういう意味ではとは言わないが、クラウスはうーんと少し難しげな顔をする。
「あったは、あったが・・・あれだな。聞かなかったことにした」
「聞かなかった・・・・・?」
「興味なかったし、それで相手とどうこうなりたいとも思わなかったしな。いろいろ
面倒くさかったから聞かなかったしたんだ」
そしたら、なかったことになるだろう?とクラウスに言われ、アズサははぁとなの
抜けた返事をする。
「だいたい好きだ何だって言うのは向こうの事情だろ。それにこっちが振り回されな
くちゃいけねぇんだよ」
自分のことは棚に上げてそううそぶくクラウス。だが、その辺りの事情を全く知ら
ないアズサにとっては目から鱗が落ちたようなものだった。
アズサは今まで、どこか人にはまっすぐ向き合うところがあり、ダテのように軽く
流すことができず、人の言うことをいちいち真に受けて、それで傷ついたり、泣いた
りもした。特に告白類は相手も真剣なので、こっちも真剣に向き合わざるをえなかっ
た。
「向こうのヤツらは結構さっぱりしたヤツが多かったからな。言えばだいたい分かっ
てくれて、前のとおり付き合えし」
まぁ、たまに粘着質のヤツもいるけどなと言ってその代表格を思い出し、クラウス
はそれをかき消すようにワインをがぶ飲みした。
「・・・・・・わかりました」
アズサは何か決意したように言った。
「もう少し考えてみます。それで後悔がないようにします」
「そうか・・・ま、がんばれよ」
そういったクラウスの顔はどこか力なかった。
そのとき、部屋の無線機の呼び出し音が鳴った。
「ヴォルフシュタットだ。スグリか?どうした?」
珍しいなと言うクラウスの顔が、すぐに緊迫めいたモノに変わる。
「・・・・分かった、すぐ行く」
クラウスはヘッドホンを戻すとそのまま壁に掛けていたジャケットに手をかけた。
「悪い、呼び出しだ。悪いが、適当にやっててくれるか」
「すぐに戻られますか?」
「さぁな。もしかしたら朝まで戻ってこないかもしれねぇ」
「あ、じゃあ僕ももう出ます」
アズサも慌てて立ち上がる。
「無線機、替えられたんですね」
帰り支度をしながらアズサが聞いた。
「前はウエムラに壊されたからな。新しいのもらった」
ついでだから、チャンネル教えとくよとクラウスはアズサにチャンネルを告げる。
「なんかあったらかけてこい」
そう言うとクラウスは本館の方へ向かった。
このとき、アズサの中でどうするか決まった。
決して後悔しないように。
アズサは、無線機のチャンネルを記したメモを胸にきゅっと抱きしめた。